TAO的パラドックス思考

キリスト、釈迦、孔子、ソクラテスの共通項

2022年のチャレンジの一つ、「紛争変容学」の学びを深めるために、欧米人の思考の根源と「赦(ゆる)し」の思想理解にキリスト教の学習。

熊本のアウトドアショップ「シェルパ」の阿南会長のお誘いで彼の経営する瀬の本ユースホステルで、熊本草葉町教会の森嶋道牧師による聖書の勉強会。讃美歌「み言葉をください」「ああ主のひとみ」を参加者全員で歌い、ヨハネによる福音書「イエスのは復活と命」の解説。

さて、仏教の始祖・釈迦は、その思想を自ら文字として残していない。仏教経典は、釈迦自身の手によって書かれたものではない。お経の初めに「如是我聞」とあるように、「私はこの様にお釈迦様の説法を聞きました」と、弟子たちの手によって編纂されたものである。

儒教の始祖・孔子にしても、論語は孔子が書いたのではなく、「子曰く」とあるように、「孔子先生が次のようにおっしゃいました」と、弟子たちが書きとめた。

キリスト教の始祖・イエスにおいても同じ。「新約聖書」は福音書にマタイ、ヨハネ等と名前があるように、やはり弟子たちの執筆である。世界的な広がりをみせた思想の始祖と呼ばれる三人が三人ともに書くことをしなかった。

この三人にソクラテスを加えて四聖と呼ぶが、彼もまた自ら書くことをせず、有名な「ソクラテスの弁明」は、弟子プラトンが書いた哲学的戯曲だ。

優れたカウンセリング能力のあった彼らは、本を書かず、一方的に説教するというようなスタンスも取らず、何より生きた言葉の「対話」を通じて人々を真理へと導いた。

深淵なるメッセージを理解するには、文字ではなくその人から漂う全身全霊の生のバイブレーションに触れることが一番だ。そして、彼らは、文脈的状況や相手のレベルに応じて臨機応変に言葉を変える「対機説法」を駆使した。

後日、意図を超えて宗教化•教団化した彼らの思想は、文字化されることでドグマ化し、その解釈の違いなどで宗派対立の起因を作った。

どうやら、天才型の創始者の後に秀才型の弟子がその教えを文字化、体系化、組織化し広めると同時に知の奴隷を生むのが、歴史的パターンのようである。

果たしてあなたの回りの世界はいかがだろうか!

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