TAO的パラドックス思考

人の喜びを我が喜びに生きた二人の命日に

8月28日は私の祖母の命日。母と宇野電器の叔母と3人で墓参り。

祖母は、小学校しか出ていない無学な人で、何か宗教をしているという人でもなかったが、人の悲しみを我がごとのように悲しみ同情し涙し、人の喜びを我がごとのように喜び共感し涙する情の人だった。

私が29歳の時、人生の大先輩に祖母の話をすると

「人の悲しみを我が悲しみにすることは実はそう難しくなく、そんな人は世の中にゴマンといるんだよ。でも、人の喜びを我が喜びとして喜べる人は本当に少ないんだ。波多野さんのお祖母さんはその数少ない人だったんだよ」

と言われ、へぇ〜そんなものなのかなぁと思っていたが、その後、仏教の教えに触れ、人の喜びを我が喜ぶとすることをサンスクリット語でムディター、人の悲しみを我が悲しみとすることをカルナーと知り、愛の質の違いについて観察するようになった。

すると、人の喜びを素直に我がごとのように喜べる人は、「今ここ」に生き、何よりそのままのありのままの自分を肯定している人だった。

明日8月29日は稀代のパーマカルチャリスト•デジャーデンゆかりの命日。彼女もまた、自己肯定感、現状肯定感が高い「Be here now」に生きる人であった。

「ねえムーミン、友達が、一番好きなことをしながら生きていけるようになるって、すてきなことじゃない?」(ムーミンママ)

※土日カフェ営業しています♪(11:00〜16:00)
※宿泊、Detox、セミナーステイはご予約下さい♪
お問合せ•お申し込みはtaojuku@me.comまで

#祖母 #ムディター #カルナー #ムーミン #名言