TAO的パラドックス思考

健常、健康、強者という名の鈍感

昨日、強い雨が降りしきる中、カフェに来てくれた数少ないお客さんの中に、懐かしい教え子の顔あった。

毎週一回、支援学校の生徒を対象にした授業を3年間受けていた子。ランチを一緒に食べながら、熊本市の福祉作業所で働いている様子を聞かせてもらい、その成長ぶりに感動。

2013年小国町で開催された福祉シンポジウムで、細川元首相の奥様の佳代子さんらとトークセッションをさせてもらったことがあった。彼女が

「私たち健常者が知的発達障害のある人たちから学ぶことは大変多いんです。彼らはものすごい力を持っています。彼らといると心が和みますし、やさしくて、とても誠実で、努力家です。そして、いろいろな可能性を秘めているんです。ある意味、健常者は社会から彼らを除外してしまいましたが、私たち健常者にとって、また社会にとっても彼らが必要なのです」

と話された。彼らと付き合い始めて今年で8年目。最近とみにそのことを痛感するようになってきた。

健常者と呼ばれる人間こそ、彼らの「あり方」に学ぶべきなのだ。日々、強さを競い、速さを競う「戦い」の中で疲弊し、鈍感になってしまった人間としての健全な感性を取り戻すために。

最近「発達障害とは『欠如』ではなく『ズレ」である』という記事を読んだ。発達障害でない人のことを定型発達というが、時としてズレてしまっているのはどちらなのかを自省した方がいいのかもしれない。

アトピーを持つ人を、○○や〇〇が食べれない、食に不自由な可哀想な弱者と見る向きが多いが、強者はいつも鈍感であり無関心を装う。そして、時に関心を持った強者は「弱者に光を!」と救いの手を伸ばそうとするが、社会全体を視野にみれば「弱者に光を!」ではなく「弱者こそ光!」だ。彼らこそ、我々を取り巻く「いのち」の根幹である医•食•農の不自然さを目に見える形で表に出して、我々を目覚ましてくれる救済者だ。

紛争変容平和構築学のこの言葉が心に響く。

「弱者に立ち会われる葛藤は、強者を含めて世界全体を幸せにする(wholenessを回復する)入口である」

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