TAO的パラドックス思考

巨星墜つ〜めんたいロックと肉なしチャンポン

親友•鎌田陽司から早朝「シーナ&ロケッツのユーメイドリームを高校2年生の時にコンサートで演奏したことを思い出した。FBにちょこっと書いた。波多野もこの曲、演奏したりしてた?鮎川さんは久留米だけど、なんか接点あった?」とメールがあり、久しぶり長電話。

1月29日に亡くなった、めんたいロックの元祖「シーナ&ロケッツ」のギタリスト•鮎川誠さん(享年74)の「ロック葬」が2月4日にあったのだが、どうやら私と同じく親友もまたYouTubeで彼のライブやドキュメンタリーTV番組を観ていた模様。

鮎川さんが人生の岐路、勝負をかけて上京した時に、シーナさんがついて来て、「私も一緒に歌いたい」と言うシーンに感動して目頭が熱くなった。

鎌田もまた、この3日間で彼らの代表曲「You may dream」をなんと400回近くも聴いて涙したという。

「シナロケ」との出会いは、1984年12月21日、母校法政大学の今はなき伝説の「ガッカン」=学生会館大ホールだった。1000人収容とも言われた会場はパンパンに膨れ上がり、強烈な熱気に包まれていたのを覚えている。

大学卒業後、私が住んでいた諏訪にある富士見パノラマスキー場で1988年8月8日から1週間、「いのちのまつり」(略称88)という野外イベントが開催された。

私も鎌田も仲間達と一緒にどっぷりと参加して「チベット死者の書」のおおえまさのりさんや、「妙なる畑に立ちて」の川口由一さんほか、様々な人達と交流を楽しんだ。

後に日本版ウッドストックとも呼ばれた 88のエネルギーは、全国各地へと広がり、91年には九州でダダチャイルドのロクロー主宰の「虹の岬まつり」、2000年には富士山麓で越智純さん主宰の「RAINBOW2000」などの野外フェスが開催された。

越智さんと、アースデイ主宰の南兵衛こと鈴木幸一さんのTAO来塾がきっかけで、2004年夏至の日に阿蘇と富士を繋げるWPPDというイベントを南小国町の押戸石山でコラボ。

そして、2018年9月23日、越智さんが企画した南小国町の甲の瀬キャンプ場での音楽フェスに、シーナ&ロケッツが来てくれたのだ。なんと35年ぶりの感動♬

残念ながらシーナさんは2014年に天国に召されたものの、69年型レスポールカスタムと呼ばれる黒のギターを持つ鮎川さんの熱きロック魂は健在。

贅沢にもステージのかぶりつき、鮎川さんの汗が飛び散らんとする距離で友人達と踊り狂う。ブラックビューティーなギターボディも塗装が剥げて凄まじい状態だったが、それもまた、めちゃカッコいい!

賛否両論のYouTubeだが、貴重な価値ある映像を手軽に観れるのは本当に有り難い。鮎川さんが行きつけだったという、母校•明善高校裏の「沖食堂」の激安メニューのチャンポンを食べるシーンがあった。学生に安い値段で提供するために、具材から肉を抜いたチャンポン、その名も「チャンドン」。

かつて、TAO塾のスタッフをしてくれていた故•藤江雄俊君が「僕も明善高在学中、よく行ってたんです」と「沖食堂」に連れて行ってくれ、一緒に食べたことを思い出した。

今度、久留米に行く機会が来たら、鮎川さんや、藤江君が愛した「沖食堂」を再び訪ねてみよう。

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