TAO的パラドックス思考

愚かな賢さ?賢い愚かさ?

【愚かな賢さ?賢い愚かさ?】

昨日、今日と2日間、福岡出張。常宿のバックミンスター・フラードームでこの文章を書いている。

昨日は講演後、レストラン「コトツキ」でのランチ会食、そして「白ヤギ食堂」でのディナー会食。”素”的な空間での”素”的な人達との語らい!

美味しかったなぁ♬ 楽しかったなぁ♬

馬鹿もの達の集まり•••失礼•••もとい
婆伽ボーンな人たちばかりだったlol

シンポジウムの語源は古代ギリシャにおけるシンポシオン、饗宴、つまり「to drink together」らしいが、飲食を共にしながら、時にバカ話に笑い、時に忌憚ない議論を交すのは実に愉しいものだ!

断絶を生むコロナ狂炎から心響き合う饗宴へ!

昨日は、「コロナショックと医食農同源」と題した講演をした。

その中で、英語で「賢い」って何ですかね?という問いかけをした。

intelligent、clever、smart、wise・・・様々な英単語が浮かんだことだろう。

しかし、同じ「賢い」を意味するこれらの言葉も微妙にニュアンスが違う。

intelligent は、「教養がある」「知性がある」「理解力がある」「優秀な頭脳」という感じで、

cleverは、「利口」「頭の回転が早い」「計算高い」「ずる賢い」「抜け目がない」という風な具合。

smartは、TAO塾に何度もステイに来ている大親友のイギリス人によると、「頭がいい」「賢明な」と言う意味の他に、「オシャレ」という感触や日本語でいうキビキビ・テキパキした動作などに通ずる意味も付加されていて、米語(アメリカで話されている英語)では「生意気な」という意味合いもあると言う。

一方、wiseの方は「思慮深い」「分別のある」「経験知」「年の功」「深い叡智」・・・

さて、私が真の自由人としてリスペクトしている東洋医哲の達人の一人が本当の意味での「賢さ」についてこのような言葉を残している。

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「つまり自分が実にとるに足らぬ、つまらない、悪い、情けない、けちな野郎だということを、だれが何と言っても聞き入れないほど、知りぬいているということです。

自分が世の中で一番おろかな、みにくい、あわれな悪人だということを知っているものだけが、不思議なことですが、この世の最大の人物なのです。

自分の欠点の自覚がハッキリしていればいるほど、大きければ大きいほど、深ければ深いほど、ほんとうの賞賛は高く大きく深くなるのです。世の常の美点や特長でほめられる間は、まだ真の人間じゃありません。それは役者の芸のようなものです。」
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「真実は知らないが、真実を知らないことは知っている」という哲学者ソクラテスの「無知の知」。

仏教の法句経にも「わが愚かさを悲しむ人あり。この人すでに愚者にあらず。自らを知らずして、賢しと称するは愚中の愚なり。」という一節がある。

「自分は頭がいい」と思っている人は実はそれほど頭がいい人ではないのかもしれない。「自分は善人だ」「自分は正しいことをしている」と思っている人は本当はそうではないのかもしれない。本当の知者は、自らを深く見つめ、己の愚かさ、至らなさを常に自覚している人なのだ。

かの浄土真宗の開祖親鸞聖人は、自らを「愚(ぐ)禿(とく)」(剥げ頭の愚か者)と称し、名僧良寛は、「大愚(たいぐ)」(大馬鹿者)と名乗った。「雨にも負けず、風にも負けず……」の宮澤賢治は「デクノボー」、ゲゲゲの鬼太郎の著者•水木しげるは「ナマケモノ」と呼んだ。

マクロビオティックの日本CI協会のCIとは、フランス語のセントル・イグノラムス(愚か者のセンター)の略である。

その前身であるMI塾は、間違っても「正しい食=正食」を教えるマクロビオティック・インストラクター養成のための教育をする学校ではなかったのだ。

どうやら、マクロビオティックを標榜する人たちに視野の狭い、教条的な「・・・ネバならない」「・・・するベキだ」のネバーランドのベッキーさんたちが多い原因はそこにあるようだ。

”マクロビ”教に限ったことではない。”儒”教にあっても、論語読みの論語知らずは多いし、宗教はアヘンとさえ言った”マルクス”教も反省能力無能症患者を多発した。

天才型の創始者の閃きを、秀才型の継承者が、コトバを操り、本質を歪め、戒律や組織を作ることで人々を支配していくのは歴史が証明する世の常のようだ。

ブッダに会ったらブッダを殺せ!

本来、CIやMIという「寺子屋」は、知識を頭で覚えるような教育ではない、日々の生活の中で益々己の無知を自覚し、智慧を体得していく道場にすべく名付けたものである。MIがメゾン・イグノラムス(愚か者の家)の略であることに深いメッセージが込められているのである。

さて、今日は親友が翻訳した本の出版を祝して、「懐かしい未来」というテーマで話をしようかと思う。

「懐かしい未来」(ヘレナ•ノーバーグホッジ著 鎌田陽司監訳)これまた、逆説的でタオイスティックな実にcoolでwiseなネーミングだ!

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