TAO的パラドックス思考

離れるか?失うか?で気づく有難さ

ラブレターフロムカナダ〜🎵

かつて大ヒット曲「カナダからの手紙」ならぬ、
「カナダからのメール」。

日本とは16時間時差のあるバンクーバーから、夜中に「母の日」のお祝いメールを次男からもらった母は大喜び💕

半年間、ブラジル•ナタールの医用工学研究所に留学していた次男が帰国。3月に県庁での報告会、病院でのインターン、お世話になった人達への挨拶を終えて、4月からはワーホリビザでカナダ•バンクーバーへ。

長男が行ったオーストラリアの時とは違い、住居も働き口もかなりの狭き門で働けずにいる日本人が溢れていると聞く。

しかしながら、ホッケーで鍛えた突破力が功を奏したのか、激安シェアハウスを見つけ、幾つものお店にDMし、日本でのバリスタ&接客経験をアピールして面接合格。お陰様で1週間前からカフェで働き始めることが出来た模様。

お金はないものの、招待されるカナダ人宅での交流で、日本で身につけた各種スポーツやスケボー、ビリヤード、ダーツ、カラオケ、麻雀などの経験スキルが活かされて、「芸は身を助け」の有り難みを感じているという。

「母の日」のメールも、遠く離れてわかった家族や、故郷の有り難みの現れだったようだ。

「有難う」の反対語は「当たり前」なのかもしれない。阿蘇の綺麗な空気も、美味しい水も、豊かな緑も、そして快なる温泉も、そんな環境で生まれ育った阿蘇のアボリジニーにとっては「当たり前」。遠く離れてようやくその価値に気づくもの。

人が、この世で存在の「有り難み」を身にしみるのは、「離れるか、あるいは、失うか」の体験をした時。

しかし、多くの場合、親も、健康も、故郷や祖国の素晴らしさも、失ってから気づくことが多い。

くわばら、くわばら、メメントモリ•••

#有難うと当たり前 #遊然 #カナダ