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男気あるアニキの旅立ち〜いい人ほど若くして亡くなる・・・

昨日、友人逝去の報あり。

「いい人ほど若くして亡くなる」と良く言われるが、非論理的な俗信を排除したい自分も、またもやその言葉に頷かざるを得ない。瀬戸内寂聴さんも「長生きをするとわかる、いい人から先に逝くのは本当だって」と言っていたが、もしかすると本当にそうなのかもしれない。

ながらく正食協会で活躍された山口徹平さんが旅立たれた。
徹平さんとの出会いは、平成になって数年経った頃だっただろうか、東京のCI協会で「マクロビオティック」を学んでいた若手有志で発足させた「老子の会」が、大阪の正食協会の若手メンバーと交流会を大阪と東京で二度企画した会場だった。

その後、正食協会での講演や、協会発行の月刊誌への連載、また外部編集委員として30年近く交流させてもらった。数ヶ月に一回の編集会議で大阪に行くときは何より徹平さんと乾杯するのが楽しみだった。

協会で岡田定三会長と共にやる編集会議の後は、「今夜は北にするか南にするか」の話になって、飲みながらの「裏」編集会議が「本」編集会議なんだと嘯いた。しかし、その性格は裏表のない、いつも明るく、ユーモア精神に溢れ、優しい人柄と人生意気に感ずる男気を兼ね備えたアニキと思える人だった。

波多野さんのような時に「アホ」をかまし、時に「檄」を飛ばし、「喝」を入れるタイプの昔気質のは講師は、最近おらんくなったから貴重やねと励ましてくれていた。

岡田会長と徹平さんと私との鼎談、ウィンドファームの中村隆市さん、近畿大学教授の坂田祐輔さんとの鼎談の司会、兎龍都さんとの対談なども企画してくれ、素晴らしい編集者の片山明彦さんや正食料理講師の野口清美さんとの出会いを頂いたのも徹平さんのお陰だ。

彼の父親で正食協会の会長をされていた山口卓三先生にもお世話になった。私はふとしたきっかけで東洋医学に興味を持ち、「鍼聖」と呼ばれた柳谷素霊が創始した学校で東洋医学の古典を学んでいるときに「食医」という言葉を知り東京のCI協会でマクロビオティックを学んだ。そんな中、東京市ヶ谷の家の光ビルで開催された正食協会の連続講座に参加して卓三先生に出会う。

マクロビオティックの創始者・桜沢如一の個性ある高弟たちの講座はどれも興味深かったが、自分の弱さを認める謙虚さと、柔軟な知性と感性を持ち合わせた山口卓三先生は、それまで出会った先生たちにない尊敬すべき人格を感じた。講演の最後に、「もしわからないことがあれば、自分なりの探求をした後で、私見を書いて私に手紙を下さい。必ず返事を書きます。」と言われ、忙しい先生だろうに嘘に違いないと思いながらも、「鍼灸東洋医学とマクロビオティックの陰陽が逆転しているはなぜか」についての手紙を書いて出したら直ぐに返信がきてびっくりした。

卓三先生を父に持つ徹平さんもまた、普遍の法則を求めつつも、生身の内なる自分の真実を大切にして、悪しき原理主義に陥らない、そんな人間らしいバランス感覚を持っておられた。若い頃さんざんやったというサーフィンがその身体性の根っこにあったのかもしれない。
根っこと言えば、今年1月末、紛争解決平和構築学研究で「病気と紛争の根っこ」というテーマの小論を書く時、資料とともに徹平さんが小さい頃の家族写真を送ってくれていた。

「法灯明」そして「自灯明」に生きた山口徹平さんのご冥福を心よりお祈りします。