昨夜、モロッコ、ロンドンを舞台に、暗殺の陰謀に巻き込まれていく一家を描くサスペンス映画「知りすぎていた男」を観る。
「知りすぎていた男」(The Man Who Knew Too Much)
監督: アルフレッド・ヒッチコック
主演: ジェームズ・ステュアー
ドリス・デイ
シリアスな緊張感の中に、コミカルな緩みを入れる陰陽のパルス、そして、監督自身が映画の中に、こっそりと、少しだけ登場する「カメオ出演」や、主人公が思いもよらぬトラブルの側杖を食う「巻き込まれ型スリラー」はヒッチコックの定番。
私も、「人生とはまるで映画のようだなぁ」と感じる時がある。主人公はもちろん自分、しかしながら、同時に監督も自分、それを観る観客も自分、さらには登場してくる人物たちの配役全て、自分の内的宇宙の投射の世界。
還暦に向かい段々超受身的人生になりさらにその感強し〜
思いもよらない人生の展開にワクワク•ハラハラ•ドキドキするも、後で振り返ってみれば、あたかも元々筋書きがあったかのよう。まるで映画のように。
もしかしたら、シナリオを書いた脚本家も自分⁈
映画を観終わった後も、主題歌の「ケ・セラ・セラ」が脳裏をこだまする♬
“Que sera, sera.Whatever will be, will be..The future’s not ours to see”
ケ・セラ・セラ なるようになる。先のことなどわからない。ケ・セラ・セラ
●ケセラセラ(ドリスデイ)
●日本語版(ペギー葉山)
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