1993年3月、アメリカにあるKushi Institute(略してKI)留学へ向けて《太平洋》を渡った私は、次なる旅にむけてニューヨークのJFK空港からイギリスのヒースロー空港へと《大西洋》を渡った。
KIの校長の久司道夫先生からは、ニューヨークでの新プロジェクトのマネージャーのポストの話を頂き、「一旦日本に一時帰国して再びアメリカに戻っておいで」と言って頂いたものの、私には、ずっと気にかかっていることがあった。
それは、マクロビオティックの創始者の桜澤如一が「本当の陰陽は、本や教室で学んで身につくものではない。一番いいのは行ったことのない外国を、お金を持たずに旅をすることだ」と言う言葉だった。
意を決して、欧州諸国への無銭旅行に行くことにした私は、久司先生に「せっかくのご提案、とても光栄なことなのですが、一度、桜澤先生の言う海外無銭旅行というのをやってみたいと思っているのです」とお伝えした。
すると、それまでニューヨーク話を熱心に口説いてくれていた久司先生が「そうか。それはいい。じゃ君、せっかく、ヨーロッパに行くのなら、オランダにあるK Iの姉妹校で何か講演しなさい」と言われた。「えっ講演ですか?」英語も大して喋れないというのに講演なんてできるわけない・・・とすぐに否定的な思いが脳裏をかすめる。
しかし、久司先生はお構なしに「校長のアデルバードには私から直接連絡を入れておく」と言われた。有難い話だったが、初めてのヨーロッパの地で、果たして英語で講演なんてできるのだろうか・・・。
まずは、KIで知り合ったシンガポールの女性の親戚宅がイギリスのロンドン郊外にあるということで1週間そこに滞在させてもらった。日本までの帰りのチケットとユーレイルパスと呼ばれるヨーロッパの周遊列車券以外はほとんど現金を持たないバックパッカーの旅が始まった。
しかし、私には秘かな作戦があった。欧州無銭旅行を決意した時から、KIの仲間達に旅の計画の話をして彼らの友人・知人でヨーロッパに住む人達とのコネクションを広げていったのだ。
今なら、インターネットも、スマホもあり、安く泊まれるエアービーアンドビーや、タダでも泊まれるカウチサーフィンやウーフだってあるが、当時はそんな便利なものはなかった。
しかし、私にはとっておきのツールがあった。それは、複写ハガキを使う「ハガキ道」。それを使って毎日毎日エアメールを欠かさなかったのだ。金脈がなくとも、人脈があれば何とか生きられる!今でも変わらぬ確信だ。
大学ではワンダーフォーゲル部だったので路上ステイはそれほど苦に感じず、日本が産んだ世界に誇る万能魔法ソース「醤油」があれば、タダで手に入れた野菜のクズも美味しく食べれた。食うものがない時は、健康のためのファスティングと思えば良し。
しかし、何より友人ネットワークが一番だった。何せ、KIで食のことを学んでいる人達のネットワーク。各国の伝統料理をオーガニックの食材で作ってくれるのだ。有料の展望台に行けなくても、無料の高層ビルから町を眺めることは十分できた。駅まで友達あるいは友達の友達が迎えに来てくれ、各国語をマンツーマンで英語に通訳してくれながら案内し、宿泊までさせてくれる。私の無銭旅行は考えてみれば、托鉢苦行ではない何ともはや贅沢づくしの旅だった。
次に、ドーバー海峡を渡ってベルギーそしてオランダへ。オランダの首都アムステルダムでは、前述のKIのヨーロッパ校で講演。校長のアデルバード・ニールセン氏が鍼灸師の免許を持っているということで是非、「東洋医学とマクロビオティックの関係」について話してほしいということだったので「なぜ東洋医学とマクロビオティックの陰陽は逆転しているのか」などについて辿々しい英語だったが、レクチャーさせてもらった。
するとビックリ!日本では講演後「何か質問ありますか?」の司会者の声にシーンと静まる光景がよく見られるが、ここでのそれは全く違っていた。東洋人による東洋医学の話がウケたのか、講演の後の質問の嵐には正直びっくりした。しかし、一生懸命話した後に大きな反応があることは実に嬉しいものだ。
しかも、講演後、思いもかけないサプライズが・・・!拙い私の講演になんとギャラが出来たのだ。その後、ドイツ・スイス・イタリア・フランスと友人ネットワークを駆使して旅したが、ギャラのお陰で、パリのルーブル美術館近くのジャパニーズレストランに行くことができた。
そして、2000円近くもするオニギリ定食を注文。あまりの美味しさにもう1セット追加。いまだかつてオニギリに数千円も使ったのは後にも先にもこの時だけ。久しぶりの日本食、腹八分目なんて考えもせずに、腹一杯飽きるほど喰らった。「ウマかぁ!」
フランスでは、南フランスにあるMelaというコミューンを取材がてら訪ねた。そこのメンバーの一人がKIの講座に参加して仲良くなっていたので、よくしてくれた。居心地が良かったので、ここでは、農作業の手伝いなどをしながら暫く滞在。指圧をしてあげたり、子供にケン玉などを教えたりするのも喜ばれた。
食事は、全て自家農園で採れたオーガニック野菜。セイタンやテンペなどの加工品も製造販売していた。いろんな味付けがあって、バラエティに富んでいる。味も西洋人好みのスパイシーなものもあり、現代日本人の舌にも合いそうだ。
2ヶ月に渡る旅のエピソードは挙げればキリがないが、欧州無銭旅行のクライマックスは、スペインはバルセロナの地で夕日を見ているときに出会った不思議な白昼夢である。まるで、Google マップのような、地球の絵をクリックすると、アジアがクローズアップされ、そのアジアを再びクリックすると日本が出てくる、さらにその日本をまたクリックすると九州→熊本→阿蘇→小国町と次々に浮かび上がってくるというものだった。
欧州無銭旅行後、私はアメリカ再入国ではなく、生まれ故郷・小さな国の小国町への再入国!を選んだ。自分の立っているその場所こそが「地球のど真ん中」と感じるようになったからだ。
「内にコスモスを持つ者は、世界のどこの辺境にいても常に一地方的存在から脱する。
内にコスモスを持たない者は、どんな文化の中心にいても常に一地方的存在として存在する。」
(「コスモスの所持者―宮沢賢治」高村光太郎)
青い鳥は足元にいたのだ。欧州無銭旅行最大の収穫はそこにあったに違いない!
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