我が小国町にあって”母性愛”の塊のような方のご逝去
通称「おばぴー」こと大塚フミ子さん。
旦那さんが私の父と同級生、そして娘さんと私がこれまた同級生、28年前故郷小国町にUターンした時から色々良くして頂いた。
不登校の子達の居場所作りの時は、自宅を開放してくれ一人一人の子ども達に親身に寄り添ってくれた。
子ども食堂で朝ごはんの食卓を囲みたいとの願いにも一つ返事でOK。毎回笑顔で迎え入れてくれた。
溢れるような母性は時に奇跡的な出来事も生んだ。60歳を超えて母乳が再び出だしたと聞き驚いた。
「可愛い赤ちゃんが一生懸命吸っているのを見ていたら、何だか疼いてオッパイが張ってきたとよ」
私が冗談で「ジャージー牛乳ならぬ、オバピー母乳でも売り出しますか」と突っ込むと、「そら助かる。あんまり出るもんで、昨日はお風呂に搾った乳を入れてミルク風呂にしたばい」•••なんともはや凄い話
親の愛に飢え様々な問題行動があってTAO塾に長期ステイしたアメリカ人にも体当たりで交流。柔かなボディランゲージと柔軟体操で心も体もほぐしてくれた。
ニックネームの「おばぴー」の名付け親はTAO塾の生徒だったが、その子の結婚が決まった時は泣いて喜んでくれた。
友人の元アナウンサーの朗読会の場所を探していた時も、部屋を貸して下さり沢山の人を集めてくれた。
毎朝、学校近くの横断歩道で、子ども達に朝の挨拶と握手、その数たるや計り知れない。お見合いのお世話をして結婚まで至ったカップルも100組を優に超え、誰もが嫌う公衆便所の掃除も嬉々として続けた。自らが実践する姿を見せる心ある民間の教育者だった。
そういえば、九州朝日放送の人気番組だった「るり色の砂時計」で当時ツーリズムナビゲーターというのをしていた私が、TVディレクターの「小国の最高おススメ観光地に連れて行って下さい」とのリクエストにおぱぴーの所に連れて行って放送されたことがあった。
観光の語源は『易経』にある「國の光を觀る」。まさに、太陽のような、光の化身のごとき愛の人だった。
おばぴー、どうぞ安らかにお眠りください。そしてこれからも天国より、小国の子供達を見守り下さい。
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