TAO的パラドックス思考

朋友死す

今、遺体安置の部屋の隣でこの文章を書いている。

昨日朝、朋友•二見孝一の死の知らせ。
彼がこの2年の歳月、魂込めて作り上げたコミュニティスペース”恕庵”へ向かう。

痩せ細った二見君の手を握り、冷たくなってしまった頬をさすりながら、ついに来た現実を受け止める。

弔問に訪れる人達には、沢山の知人•友人達がいて彼らと悲しみを共有。二見君との思い出話を分かち合う。

生前、特に親しくしていた友人達と一緒に“恕庵”に泊まり、一晩”彼”と時を過ごすことにする。

息子達と何度となく彼の八代の実家に泊めてもらい、いつも明るい笑顔で、美味しいご飯を作ってくれていた奥さんとも久しぶりの再会。

ずっと気になっていた彼女との話も尽きない。時に目頭を熱くしながら、出会いから今日までの艱難辛苦の道のりをゆっくり聞かせてもらう。時間を気にせず深夜まで話す。一晩泊まることにして本当に良かった。

サラリーマンをしながらも、様々な社会問題に対して昼夜兼行関わってきた卓抜なる社会運動家の二見君を、陰ながら支え内助の功の鑑のような生き方をしてきた彼女の存在は大きい。

二見君とは何度も何度もGNP(国民総生産)からGNH(国民総幸福量)への社会転換について議論と実践を共に重ねてきたつもりだが、もっともっとその”幸福”という名の本質を深く掘り下げなければと思う長い夜となった。

#二見孝一 #恕庵 #GNH #ブータン