TAO的パラドックス思考

期待しないことは、信頼すること

※2019/2/11執筆

ウナワトゥナの日本山妙法寺では主幹の浅見上人の下、3泊4日早朝5時半と夕方6時半本堂及び仏塔での御勤めのほか、典座、断捨離、音楽治療その他今の私達にできることを精一杯やらせて頂く。いつでもどこでも誰とでも、我が身がお役に立てる事は本当に嬉しいことだ。

浅見上人は20代、小田実ばりに「何でもみてやろう」とドイツブンデスリーグの下部組織で1年間のサッカー留学を手始めに欧州各国そしてサハラ砂漠を南下アフリカそしてインドと放浪。その後、ダライ・ラマや日本山妙法寺の藤井日達上人などとの出会いの中で「人生は苦である」という仏教真理に目覚め得度されたという。

その後、シンハラ人とタミル人が混在しているアンパーラでスリランカ内戦に対して非暴力平和運動に取り組み、広島原爆の映画を上映しながら、法華経にある「担行礼拝」で各地を回るピースウォークを長年にわたり実践。

多様性を認め、相手をありのままに傾聴する姿勢、謙虚な物腰と温かいお人柄、時に宗教家にありがちな独善的排他性がなく、科学的学究態度と直感的感性のバランスが素晴らしかった。ロゴスを超えた柔らかいバイブレーションに、私の内側で取れ切れないでいた「怒りの根っこ」も吐露でき、いつしかこみ上げる涙に咽せてしまった。

スリランカの上座部仏教でも徹底して自己の「怒り」を見つめるらしいが、怒る事は、自己正当化という「極限の無知」の露呈、「期待しない」ことをもっと腹に据えたい!

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