昨夜は、関西からリトリートにステイに来た大学四年生グループと旅の中で撮影した写真を沢山見せてもらいながら夜遅くまで話を聞く。
中でも、阿蘇の草千里の池に映る山の写真が美しかった。
あの〈逆さ富士〉〈逆さ桜〉〈めがね橋〉などで知られる、鏡のように水面に映しだされる「水鏡」と呼ばれる幻想的な現象だ。
記念に草千里水鏡の写真を一枚もらう。
鏡•••
「子どもは社会を映し出す鏡」「子は親の鏡」などと言われるが、純真無垢の彼らは本当に社会構造の〈ゆがみ〉も、親の心の〈ひずみ〉もそのままに照らし出す、時に怖い存在。
一方、「新聞は社会を映し出す鏡」という言葉もある。
ドイツの新聞〈シュピーゲル〉も、アメリカの新聞〈ミラー〉も、その名は「鏡」を意味する。発刊時の純粋な意気込みを感じる”素”的な命名。
しかし、今、果たして「新聞」は「鏡」の役目を十分に果たしているのか?「新聞」は本当に真実を映し出しているのか?と思う事が増えてきた。
年々、テレビほどではないものの、新聞も健全なるジャーナリズム精神を失い「お金」に魂を売った歪んだ記事内容になっているきらいを感じる。
こちらの方は、別の意味で本当に怖い。
#子は親の鏡 #新聞は社会の鏡 #ジャーナリズム精神 #メディアリテラシー