【黒川温泉の父の命日に想う〜「縄文」の叡智】
ちょうど4年前の今日、2017年1月22日、「黒川温泉の父」と呼ばれた新明館の後藤哲也さんが亡くなられた。
50年前は交通の不便な山奥の鄙びた温泉街だった黒川を年間100万人を超える人気温泉地にした功労者だ。
「点を線で結んで面にした時に人は動く」と、黒川の20数軒の旅館を一致団結させ、黒川一旅館と呼び、景観も橋も自販機も黒に統一、全ての旅館のオリジナル露天風呂を「温泉手形」で繋げた。
生前、TAO塾にもよくふらっと来られては色んな事を教えて頂いた。
「ドアを開けた正面に綺麗な花を飾るのは誰でもやる、視界ギリギリな端っここそ大事にしなきゃいかん。樹を植えるにしても、その土地に昔から自生するホンモノじゃないとダメだ。」
ディズニーランドの幹部も学びに来るような後藤社長だったが、ある時、「今日東大の造園学の教授が来るから波多野さんも一緒に同席しないか」と電話を頂いた。
専門家の先生の話は論理的で素晴らしかったが、お二人の話を聞いて行く中、全国の旅館庭園を渡り歩き実学で眼を肥やしていった百戦錬磨の後藤社長が、徐々に象牙の塔の机上理論を凌駕していく展開に、ボキャブラリーの多寡を超克する、真贋を見抜く洞察の力を見せつけられた。
2000年、私はアメリカ時代の恩師であるマクロビオティックの久司道夫先生を我が故郷小国町にお呼びして講演をしてもらう企画を主催した。
有難い弟子割引のディスカウントをしてもらったものの、私一人の力ではまだまだ届かない必要経費。その時、大きな支援をして下さったのが後藤社長だった。
「どうにか参加費無料の講演を実現したいのです」と1時間以上、彼のアナハタチャクラ目がけて⁈思いをぶつけた。すると・・・
「確かに波多野君一人でギャラを工面するのは難しいだろう。ワシがなんとかしよう。今の黒川があるのも大自然のお陰。人間と自然の共生を世界に教える日本人が米国にいたことを誇りに思う」と黒川のドンが大金をポンと寄付してくれた。
「志」の直球一本でキセキが起こった!
300人を超える町民に久司先生の講演を聞いてもらえる貴重な機会を作ってもらったご恩は一生忘れない。
忌憚無いやりとりができるようになった頃、
「ワシは24時間お客様をいかに喜ばすかだけを考えている」
と豪語する後藤さんに一度生意気なツッコミを入れさせてもらった。
「社長といえども人間。夜は寝ているでしょう」
はたして返答は?
「ワシは寝ている時も、お客さんのことを考えとる」と断言!
一刀両断!間髪入れず言い切る力が凄かった。
不思議なご縁で、後藤哲也さんがプロデュースした神奈川県は川崎にある「縄文天然温泉 志楽の湯」社長の栁平彬さんと対談する機会を得た。
なんと私が学生時代に仲間達と一緒にやったグループダイナミックスの研究所の社長さんでもあったのだ。
栁平さんは、日本において究極のオリジナリティを持っている芸術は縄文中期の土器にあると見極めた岡本太郎に感化され、「和の原点である縄文の心」を形にするために、露天風呂と庭造りの日本一の名人・後藤哲也さんに監修を頼むことにしたとのこと。
自然との共生に生きた縄文人。岩波新書の『考古学の散歩道』(田中 琢/佐原 真) によると、縄文時代の8,000年の内で「全国で何千体もみつかっている縄文人骨のうち、殺されたとみなされる人骨は10例もない」「縄文人は人を殺傷するための道具、真正の武器は持たなかった」とある。そこには中高で学んだ未開で野蛮な縄文人のイメージとは違う叡智ある縄文人の姿が描写されている。
昨今、南小国町の「押戸石」が縄文の聖地として人気のパワースポットになっているが、これからの政治・経済・社会のあり方を考えていく上で所有の概念がなくクリエイティブでサステナブルな「縄文」は極めて重要な視点を与えてくれている。
●TAO塾メルアド taojuku@me.com