木も森も見る医学を
私は医療者ではないが、社会学的に医学の歴史を眺めてみるのは興味深い。
1880年代初頭、病気の原因は細菌であり、その病原菌を殺せば感染症は治るという「細菌説」を唱えたのがフランスのルイ・パスツールやドイツのロベルト・コッホ。この「細菌説(病原病原体説)」が西洋医学の基本的な考え方となっている。
しかし、これに対し「病気の原因は環境にある」という「環境説」を唱える者たちもいた。フランスのアントワーヌ・べシャンやドイツのマックス・フォン・ペッテンコーファーである。
彼らは、外在する菌という敵が、人体に侵入して感染するのではなく、人間の体内環境が悪化し、自らの免疫力が低下したことで、菌が繁殖し病気が発症すると考えた。
こうして「近代衛生学」の父と呼ばれたペッテンコーファーは、「近代細菌学」の父と呼ばれたコッホと対立。火花を散る論争が繰り広げられ、ペッテンコーファーは、自説を証明するために、学会参加の公衆の面前で大量のコレラ菌を飲むと言う大胆な行動に出る。果たして結果はいかに・・・下痢はしたものの公言どおりコレラは発症しなかった。
しかしながら、彼の弟子が同様に自飲実験をすると脱水症状で危篤状態に陥り危うく命を落としかけることになる。その後、このような現代では考えられない自飲実験が続き、発症したり、発症しなかったりと結果が一定しなかった。晩年、ペッテンコーファーはうつ病になり、最後はピストル自殺を遂げている。
彼の死後、沢山の細菌が発見され、ペニシリンなどの抗生物質が開発され大きな成果を生み「環境説」は表舞台から消えてしまうことになる。
しかし、その後、強力に見えた抗生物質、抗ウイルス剤、予防接種がその乱用により多くの薬害や、薬剤耐性菌や毒性が強くなった変異ウイルスが出現するという弊害も出てきた。表大なれば裏大。
「細菌説」か「環境説」か・・・
免疫学者は、細菌・ウイルスに感染しないよう衛生面などで気をつけるべきであるものの「細菌説」は絶対的ではなく、病原体である細菌の特性のみに原因があるのではなく、菌が感染する宿主側の免疫要因が大きく関与していると述べている。
農業における病害虫を敵対視し、農薬を投与し、病害虫の抹殺には成功したものの、本来ある土の底力をも殺してしまい、土壌自体を弱体化させ、さらに強い農薬を投与しなければならなくなってしまう負の連鎖に似てはいないか?
医療においてガンを「悪性新生物」として敵対視し、抗がん剤を投与し、がん細胞の抹殺には成功したものの、本来ある体の底力をも殺してしまい、さらに強い薬を投与しなければならなくなってしまう負の連鎖・・・
作家であり、医師でもあった森鴎外がこう言う言葉を残している。
「ペッテンコーファーは環境と下水道を、コッホは病原細菌と上水道を、それぞれに重視し、もう片方を軽視する傾向があった」
「対症療法」と「根治療法」・・・「ハエたたき」と「ウジが生まれぬ環境作り」
症状だけを抑える対症療法も、硬直した極端な根治療法原理教も・・・どちらも危ない!
ミクロに見ていく「虫の目」と同時に、高い視点から対立を俯瞰するマクロな「鳥の目」も持ちたい。「正」と「反」を超える「合」の弁証法的複眼思考を!
よく聞く「3つの視点」のような様々な多角的視点でものを見ると違った景色が見えてくる。
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3つの視点
- 部分の把握は、虫の目。
- 全体の把握は、鳥の目。
- 流れの把握は、魚の目。
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