2つの身土不二
「身土不二」という言葉は本来、仏典にあった言葉で、社会、世の中は人間が作ったものであり、人と一体のものであるという意味。自分の内面の反映が社会であり世の中なのだいう見方である。
食養で使う「身土不二」は、「しんどふじ」と読んだが、仏教でいうところの「身土不二」は「しんどふに」と発音を異にする。また、その意味も異なり、食養の「身土不二」(しんどふじ)の「身」が身体、「土」が風土を表すのに対し、仏教の「身土不二」(しんどふに)の「身」は自己、「土」は社会を意味する。
「身土不二」(しんどふじ)の視点に立つとき、自己の体を作る食というものと環境というものが一体として把握され、「身土不二」(しんどふに)の視点に立つとき、自己の心のあり方が社会とが一体として把握される。この 「身土不二」(しんどふじ)と「身土不二」(しんどふに)の二つの視点を持つことが人類の平和と健康の鍵ではないかと考え、私は熊本大学大学院紛争解決平和構築学においてこれをテーマに修士論文を書いた。
修論の中にも書いた「身土不二」(しんどふに)の観点を私に与えてくれた2つのエピソードを紹介したい。
1つ目は、私の住む熊本県で起きた大きな紛争である「水俣病」。
水俣病は、化学工業会社であるチッソの水銀を含む工場排水をプランクトン類が吸収し、食物連鎖で生物濃縮して高濃度となったメチル水銀を含む魚介類を食べた水俣湾付近の漁民らが、中枢神経障害を起こすメチル水銀中毒になった公害病である。事件発生以来、60年以上に渡って多数の被害者を出し、数多くの裁判が行われて来たが、いまだ完全なる解決には至っていない。
今年3月まで、明治学院大学で文化人類学の教鞭を執っていた辻信一さんに、「環境水俣賞」の会場で緒方正人さんを紹介してもらったことがあった。長年、「水俣病闘争」の中で、企業と国に対して戦ってきた緒方さんだったが最終的に行きついた心境が「チッソは私であった」というのを知り、同名のタイトルの本の中に散りばめた彼の魂こもる言葉の数々が心にぐさりと刺さった。
6歳で父親を水俣病で失くした緒方さんは、東京のチッソ本社、環境庁、熊本県庁そして裁判所へ何百回も足を運んで十年以上にわたり体を張った闘争に身を置いたが、いつしか「もし自分がチッソの中にいたら」と問いかけるようになった。
それは、被害者として正義&善の立場に安住していた時には思いもしなかった問いの発生であり、内省の訪れであったという。そして、「自分は絶対に同じ事をしないという根拠がない」と思い至るようになる。それこそが、被害者VS加害者といった図式を超える深い当事者意識であり、世に起こっている全ての事象(社会)が自分自身(自己)の投影であるという身土不二(しんどふに)の意識・態度であろう。
一昨年、緒方正人さんの甥にあたり水俣病の語り部をされている緒方正美さんに、熊本大学に来て頂き話を聞く機会も頂いた。水俣有機水銀公害事件についてお話をしてくれた。彼は38歳までの人生は「水俣病から逃げる人生」だった。38歳から50歳までは「水俣病と闘う人生」だった。50歳から現在までは「水俣病と向き合う人生」であると語り、世界140ケ国、国内の学校500以上そして、毎年、環境大臣に祈りを込めたコケシを贈っている話や、塩谷元熊本県知事、後藤チッソ社長、そして天皇陛下とお話ししたエピソードをシェアしてくれた。「恨むということ、許すということ、正直に生きるということ、水俣病になったのは良かったとは思わない。しかし、水俣病になったことを悔やんではいない。水俣病は私の人生の一部だ」と語る緒方さんの言葉は重かった。
もうひとつの私の体験は、「福島第一原発事故」を題材にしたプロセスワークである。プロセス指向心理学の創始者であるアーノルド・ミンデル(Arnold Mindell)の直弟子にあたるスチーブン・フェンウィック博士が熊本大学で、原発をテーマにしたワークショップを開催し参加した時のこと。
一般的には、いわゆる「原発問題」に関して、政府や東電を加害者、被災者を被害者とする二元論的な見方にとらえがちだが、このワークショップでは、参加者が当時の首相や幹事長、東電の社長、社員、もしくは反原発の市民団体、子どもを持つ主婦といった様々な立場の役割を演じて、ロールプレイングを行い、しかも役割を途中で交代するということも行った。自分がそれぞれの立場に立った上で、この問題をどう捉えるかという視点で真剣に考えると、誰が加害者で、誰が被害者であるか、誰が善で誰が悪だと言い切れない感覚に包まれて来たのだった。
ロールには、さらに未来の子供達、長老、福島第一原発の精霊といった現実にはいない役柄も登場し、事態を全体的あるいは俯瞰的に見たりする感覚も芽生えていった。
ワークショップの最後の方では、多くの参加者が、単に政府や東電を責める感覚ではなく、起こっている現象の全部を「我がこと」として見ていこうとする感覚が生まれ、誰も責められない、自分たちの生き方自体がこの問題を引き起こしていると実感する事が出来た貴重な体験であった。
資本主義、市場経済、拝金思想が生んだ環境破壊、金融システムの崩壊は、今後国家破綻をもうんでいくような勢いだが、我々を取り巻く現象の世界は、我々の心の内面のエゴの投射なのかもしれない。
環境破壊も戦争も究極的には我々の意識が生んだものだといえるだろう。世界平和をいくら願っても、自他を別々に観る意識では結局はエゴを守ろうとする想いに操られるだろう。
全ての責任を自らに見出す「我が事」の意識こそ、「奪い合い・争い合い」の世界から「与え合い・分ち合い」の世界への転換の鍵に思える。
食を通じて風土・環境を身体に取り込む「身土不二」(しんどふじ)の理念に立った医食農同源及びローカリゼーションの推進とともに、私は自己を取り巻く社会は自己の内面の投射であると考える「身土不二」(しんどふに)の精神論の二つが、平和構築のために必要な相補的な概念だと思い始めた。
昨日から、このブログを書き進めていたが、不思議なタイミングで思いがけない嬉しいプレゼントが届いた。同じナマケモノ倶楽部という風変わりな名前のNPOでご一緒させてもらっている山口県の友人・上野宗則さんから届いた一冊の本。「常世の舟を漕ぎて」。前述の水俣の緒方正人さんの語りをインタービューの達人でもある辻信一さんが聞き書き、編集したものだ。上野さんの心あるプロデュースで、魂のこもった名著が増補熟成版として甦った。なんとも嬉しいニュース!暗闇の中で、純粋に光る灯火に感じるプレゼントだった。新型コロナがくれた時間・・・速読ならぬ遅読に耐え得る”素”的なこの本を読む時間にしよう。皆さんも是非!
Your timing, your process knows what’s best. あなた自身のタイミングやプロセスこそが、何がベストなのかを一番良く知っている!(アーノルド・ミンデル)
常世の舟を漕ぎて 熟成版
1953年、水俣湾周辺で、魚が海に浮かび、海鳥やネコの変死が続いた。化学品製造会社チッソが起こした公害の原点、水俣病によるものだった。同年、水俣北部の漁師町に、緒方正人は生まれた。6歳の時、父が突然水俣病で死去、一族もみな発症した。漁師を継ぎながら、父の仇を討つかのように、チッソや行政に対する補償運動、責任追及闘争に没入していく正人。しかし、ある体験をきっかけに、それまでの補償を求める闘いから身を引く。以来、自らも文明社会における加害者であることを認め、それまでとはまったく違う行動を起こすのだった――。この正人の行動に共鳴した辻信一は、そこに至った道を明らかにするため、正人の生い立ちを、想いを辿る。
近代とは、文明とは、人間とは、いのちとは……。ユーモアに溢れながらも切なく響く正人の問いかけは、あなたの内にどのようにこだまするだろうか。作家、石牟礼道子の序文「神話の海へ」も収録。
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- つながりを取り戻していくための一人一人の行動は、世の中を変えていくことに重なっている。今、僕らの幸せにとって本当に大切なことは何か。もう一度、問い直してみませんか?(辻信一)
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