桜は誰がために咲く
次男と一緒に早朝ウォーキングに行く。
いつも、TAOリトリートセミナーで歩く南小国町立岩水源への4kmの道。
鳥のさえずり、川のせせらぎを耳にしながら、桜並木を歩く。
今年は、桜の下での宴会がなくなり寂しそうにしているのかなと桜を見上げると、そんなことはない。
桜は、どんな時も人のため、世のためなど思わずに、淡々と咲いている・・・
かつて、松原泰道老師に学んだ「碧厳録」の言葉を思い出す。
百花春至為誰開(百花、春至って誰が為にか開く)
毎年、春になると花々が咲き乱れる。この花々は、一体誰の為に美しく咲いているのだろうか?そんな問いが、ただ無心に咲くことの美しさを表している。
ウォーキングの後、満願寺温泉で朝風呂。
小さな子ども2人を連れた友人も来ていて、しばし歓談。
久しぶりの再会に子どもたちも、私を見るやはしゃぎだす・・・ いつも「玄米ポンせん」をくれるおっちゃんだ!と思っているのだろう。
子どもたちの無邪気な振る舞いを見ていると、彼らの心は過ぎてしまった過去に行って悔やんだり、来てもいない未来を不安に思ったりせずに今、今、今を生きているのだなと思う。
今日は、本の断捨離を決行。
本は他のモノより思い入れが強かったり、また読み返すことがあるかもなどという気持ちが出てなかなか捨てられない。
例の断捨離の呪文を唱えながら(笑)、一冊一冊成仏してもらう!
畑に種取り用に花を咲かせた高菜を見に行く。モンシロチョウがやって来て、彼らの動きをしばらく見つめる。
蝶々はかつて「てふてふ」と呼ばれていた。漢字で書くと手符.手符という説がある。
蝶々が羽を開いた時の姿と、手の平を合わせた時の形が似ているから名付けられたという。
「手(て)」の「符(ふ)」
「てふてふ」と言葉を吐くと、なんだか、のんびり、ふんわりした感じになる。
「てくてく」という言葉もあるけれど、確かにどちらも「手」を振りながら自力で動く感触が伝わる。
「てふてふ」は、さらに「ふ」の音の影響で「揺れる」感触が加わる。
「ふ」=振動 震える・伏す・踏む・振る・降る・フラフラ・・・
今は、「てくてく」まっしぐらに行くより、「てふてふ」と吹く風に逆らわずにいくことがいいのかもしれない。
夕方、見上げると真ん丸のお月様がこっちを見ていた。
桜のように・・・子どものように・・・蝶々のように・・・月のように・・・
淡々と生きる・・・彼らは教えてくれている・・・
- 過ぎてしまった過去に行って悔やんだり、来てもいない未来を不安に思ったりせずに今、今、今を生きる
- 「てくてく」まっしぐらに行くより、「てふてふ」と吹く風に逆らわずにいく
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桜のように、子どものように、蝶々のように、月のように、淡々と生きる
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