善悪超える複眼思考
かつて、TAO塾に通う中学生が、こう尋ねてきたことがあった。
「先生、”二度あることは三度ある”と”三度目の正直”ってどちらが本当ですか?」
私が
「どちらもありだよ」
と答えるとキョトンとした表情。いいチャンスだと思い、
「良いこと 悪いこと」「正しいこと 間違っていること」というシロとクロに2つに分けて見る考え方を超える
「複眼思考」の話をした。
人はこれまでの知識や経験を通して、やがて自分なりの主義・主張を持ち始める習性がある。自分の知性・感性に健全なる「こだわり」を持つことは自然な流れではあるが、それが硬直した「とらわれ」になってしまうと本来の柔らかい臨機応変な判断力を見失ってしまうことにつながりかねない。
時に、同じ意見を持つ人といるのが心地よく、反対意見を持つ人がやっかいに感じてしまうこともある。意見の対立が大きな「もめごと」に発展することもしばしば・・・。
しかし、反対の意見を持つ人が目の前に現れてくる出来事を、自分の思考の成長をうながすチャンスだと考えてみるゲームも楽しいものだ。
正反対の見方・考え方に触れる事で硬直した固定観念がほぐれ、思考が広がる”快“を運んでくれることもある!
興味ついでに二人で矛盾する反対ことわざを調べてみた。
●「七転び八起き」に対して「七転八倒」
●「善は急げ」に対して「せいては事を仕損じる」
●「三人寄れば文殊の知恵」に対して「船頭多くして船山に上る」
●「渡る世間に鬼はなし」に対して「人を見たら泥棒と思え」
●「一石二鳥」に対して「二兎を追うものは一兎を得ず」
●「蛙の子は蛙」と「トンビがタカを生む」
●「瓜のつるになすびはならぬ」に対して「とびが鷹を生む」
●「好きこそものの上手なれ」に対して「下手の横好き」
●「おぼれる者はわらをもつかむ」に対し「鷹は飢えても穂をつかまず」
●「果報は寝て待て」に対し「まかぬ種は生えぬ」
●「立つ鳥後をにごさず」に対し「後は野となれ山となれ」
後日、有名なニーバーの「平和の祈り」にパロディセンスある別バージョンがあることを知った。
「神様 私にお与えください。自分に変えられないものを 受け入れる落ち着きを、
変えられるものは 変えてゆく勇気を、そして二つのものを 見分ける賢さを。」
に対し、こう言うのだ。
「神様 私をお許し下さい。変えられないものを 変えようとする傲慢さを、
変えられるものを 変えようとしない臆病さを、そしてその二つを 見分けようとする愚かさを。」
なるほど、視点を変えるとさらに深く物事が見えはじめるから不思議だ。
人生、「俺がやらねば誰がやる!今やれねばいつやれる!」とがんばるもよし!
また逆に
人生、「俺がやらんでも誰かやるやろ!今やらんでもいつかやるやろ」とゆるむもよし!
目の前のできごとは、こちらの見かた次第で変幻自在に変わってくるものだ。
哲学者ニーチェは「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」と語った。
著名な経営学者であるP・F・ドラッカー氏が「対立意見を意図的につくるべきだ」というように、自ら進んで対立する見方を自分でこさえて「〜するべきだ」「〜してはいけない」の心のブロックを外し頭の柔軟体操を心がけよう。
ニーチェの言葉
- 事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである
ドラッカーの言葉
- 対立意見を意図的につくるべきだ
●TAO塾メルアド taojuku@me.com