サステナビリティ

伝説の男の訃報〜あの88年8月8日が甦る

【伝説の男の訃報に、あの88年8月8日が甦る】

ナミさんの愛称で呼ばれたフォークシンガーの南正人さんが1月7日亡くなっていたことを友人から知らされる。

ファーストアルバムでは、かの細野晴臣がバッグをつとめ、忌野清志郎や泉谷しげるらにも大きな影響を与えた伝説のミュージシャン。

ナミさんとの出会いは、日本版ウッドストックとも呼ばれた8並びの88年8月8日夜まで8日間八ヶ岳近くの富士見パノラマスキー場で歌い踊ったイベント「 いのちのまつり」通称88(ハチハチ)。

当時、私は信州諏訪市の「学育塾」で働きながら、学生時代の仲間達と一緒に同じ諏訪郡富士見町で有機農業の実験農場をしていた。自然農の川口由一さんや、「チベット死者の書」の翻訳家おおえまさのりさん、そしてホピの預言、マクロビオティック、ホリスティック医学に出会ったのもこの時だ。

前年には広瀬隆のベストセラー本「危険な話」が出版され、「No Nukes One Love」をテーマに掲げたこの日本初の野外フェスは、のちの「Rainbow 2000」そして「フジロック」などの音楽シーンの源流にもなった。

久しぶりにナミさんの歌声を聴き、学生時代、リアル世代ではないものの仲間達と夜な夜な歌っていた岡林信康の「友よ」、高田渡の「自衛隊に入ろう」、杉田二郎の「戦争を知らない子供たち」など反戦フォークソング等を口ずさむ。

ナミさんがチェルノブイリ原発事故直後に作った「原発小唄」で

“これじゃ本当に世も末だ、科学の力を信じすぎ 人類の未来はまさに 原発ひとつでおしまいさ 一体世界の指導者たちは、どこへわしらを連れてゆく 気づいた時には遅いんだよ、、本当は今でも遅いんだ “

と歌って30年以上経った現在、あの頃38基だった原発は55基に!

ナミさんは、今、放射能と同じく人類を脅かしている見えない存在〜ウイルス、そしてインフォデミック(プランデミック?)に対しどんなカードを選び、どんな言葉を叫んでいたのだろう?

マスコミは未だ沈黙しているが昨夜のトランプのカードは果たしてジョーカーだろうか?ハートのエースなのだろうか?これから8日間の世界の運命やいかに!