TAO的パラドックス思考

《何者かにならなきゃならない症候群》に無縁の仲

朝、幼児から卒寿まで多世代交流の地域食堂会食に参加してくれた中学時代の同級生と、また一緒に曲を作ろうとメールのやり取り。

昼、役場をリタイアした幼馴染とTAO塾で最近私がハマっているカレーうどんで酒なしの乾杯。第二の人生ステージの充実を予祝。

夕、これまた同級生が仕事帰りに来塾。軽トラトランスフォーマーに続く、小屋作りについての新アイデアを持参して妄想ブレスト。

夜、同級生が施設長を務める支援学校の生徒へのクラス授業を終え、今日は日長一日、竹馬の友DAYだと天の計らいに気づき、私が小国のBlue noteと呼ぶオーディオマニアの同級生宅へ。

ラテン語で「音の工房」を意味するイタリアの「Sonus faber」と、イギリスのB&WことBowers & Wilkins のスピーカーを大枚はたいて、さらにバージョンアップ。

アンタも好きねぇ〜粋狂やねぇ〜と紫煙を燻らせる

前者は重厚かつリッチな低音を響かせ、後者は高解像度でクリアな音の広がりを生むと、彼の冗舌なウンチク話を聴きながらのJazzy night.

日本ボーカル大賞にも輝いた峰純子の歌声と、ジャズピアニスト•ハンクジョーンズの華麗なセッションに耳を傾ける。

小さい頃から、なんだかんだの長いつきあい。
それぞれの歩みは違えども 否 違いのままに
互いの存在の尊さを認め合っている感じが程よい

長いつきあいの同郷の同級生という不思議な存在は
「何者かにならなきゃならない症候群」に無縁の仲

違いを認め合いながら共に歩むことができる人間関係こそが本当の豊かさなのかも知れない。

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