人生論

な~に大丈夫!へのかっぱ!

【な~に大丈夫!へのかっぱ!】

小国郷の山から熊本市へ向かう。ミルクロードから阿蘇のカルデラをのぞくと美しい雲海が広がっている。久しぶりにそのカルデラをテーマにして創った歌を口ずさんだ。

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「明日を信じて」(作詞はたのたけし)

1)光る風に波打つ草原 雲の切れ目に輝く太陽
静かに街を見下ろせば 広い心思い出せる
広く深いカルデラのふところ 燃え尽きることのない炎
胸をはれ 高らかに歌え 明日を信じて 夢のかなたへ

2)満天の星 秘められた意味 流れる曲はシチリアーノ
浮かんだ雲を見下ろせば 清い心思い出せる
広く深いカルデラのふところ 燃え尽きることのない炎
胸をはれ 高らかに歌え 明日を信じて 夢のかなたへ

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実は、生前、父をイメージして作った曲。歌を歌うのがとても好きだった父に、いつかオリジナルの曲をプレゼントしたいと思っていた。

しかし、自分の身内、しかも父親に対しての詩となるとなんだが気恥ずかしくて中々書けないでいた。

いつも周りを和やかにし、どこにいても誰とでも仲良く、笑わせ、喜ばせるのが大好きな父。

小さいことにはとらわれずに、「男は本道をシッカリつかんでいれば多少の寄り道、脱線、回り道は良し」と「遊び」を許した器量の大きさ。

人の意見は謙虚に聞くものの、自分がこれだと思ったことには頑として譲らない意志の強さ。

何より人を大切にし、いつも沢山の友人を家に呼んでいた社交性、礼と義に生きた誠実さ・・・

沢山尊敬する所があったのだけど、直接言葉にして伝えるのは照れくさかった。

そこで、父が石原裕次郎の曲が好きだったので、裕次郎ばりにイカシタ女性をくどくような歌とも考えたのだけれど、これも息子としてはいささか書きにくい•••

どうしたものかと考えながらミルクロードをドライブしているときに

「これだ!この阿蘇のカルデラの感覚だ!」と阿蘇に比喩して書いた詩が「明日を信じて」だ。

運動神経抜群の父は足も速く、学校の運動会の親子三代リレーでは、足の遅い祖母がドンケツでバトンタッチしても、圧倒的な速さでぶっちぎり皆を追い越して、いつも一等賞だった。

好きな野球では「おい、たけし、見とけ」と予告ホームラン。そんな頼り甲斐のある父が発した言葉の中でとても印象的だったエピソードをTAO塾の生徒に出す「一日一信」というハガキ通信で紹介したことがあった。
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《一日一信》な〜に大丈夫!へのかっぱ!

子どもの頃よく、父の野球の試合に応援について行きました。決勝戦を前に、チームメンバーの多くの人達が口々に『お腹が痛くなったらいけないので、昼ごはんは少なめにしておこう!』と話していました。しかし、それを聞いた父はもう既に自分は満腹なのに『じゃあ、それ全部俺が食べよう!』と人の分までわざとガブガブと弁当を食べ始めたのでした!

「決勝戦つったってビビるこたぁない!なぁ〜に大丈夫!へのかっぱ!

腹八分目は養生の基本、しかし時には些事にこだわらず、状況に呑まれない気概こそが肝心。

『な~に大丈夫!へのかっぱ!』と振舞うことで度胸が据わり、状況に呑まれるのでなく、逆に事態を呑みこんで、満々たる潜在能力が発揮されることを学びました。

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熊本市へ向かう。ミルクロードから阿蘇のカルデラをのぞくと美しい雲海が広がっていた。久しぶりにそのカルデラをテーマにして創った歌を口ずさんだ。

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「明日を信じて」(作詞はたのたけし)

1)光る風に波打つ草原 雲の切れ目に輝く太陽
静かに街を見下ろせば 広い心思い出せる
広く深いカルデラのふところ 燃え尽きることのない炎
胸をはれ 高らかに歌え 明日を信じて 夢のかなたへ

2)満天の星 秘められた意味 流れる曲はシチリアーノ
浮かんだ雲を見下ろせば 清い心思い出せる
広く深いカルデラのふところ 燃え尽きることのない炎
胸をはれ 高らかに歌え 明日を信じて 夢のかなたへ

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実は、生前、父をイメージして作った曲。歌を歌うのがとても好きだった父に、いつかオリジナルの曲をプレゼントしたいと思っていた。

しかし、自分の身内、しかも父親に対しての詩となるとなんだが気恥ずかしくて中々書けないでいた。

いつも周りを和やかにし、どこにいても誰とでも仲良く、笑わせ、喜ばせるのが大好きな父。

小さいことにはとらわれずに、「男は本道をシッカリつかんでいれば多少の寄り道、脱線、回り道は良し」と「遊び」を許した器量の大きさ。

人の意見は謙虚に聞くものの、自分がこれだと思ったことには頑として譲らない意志の強さ。

何より人を大切にし、いつも沢山の友人を家に呼んでいた社交性、礼と義に生きた誠実さ・・・

沢山尊敬する所があったのだけど、直接言葉にして伝えるのは照れくさかった。

そこで、父が石原裕次郎の曲が好きだったので、裕次郎ばりにイカシタ女性をくどくような歌とも考えたのだけれど、これも息子としてはいささか書きにくい•••

どうしたものかと考えながらミルクロードをドライブしているときに

「これだ!この阿蘇のカルデラの感覚だ!」と阿蘇に比喩して書いた詩が「明日を信じて」だ。

運動神経抜群の父は足も速く、学校の運動会の親子三代リレーでは、足の遅い祖母がドンケツでバトンタッチしても、圧倒的な速さでぶっちぎり皆を追い越して、いつも一等賞だった。

好きな野球では「おい、たけし、見とけ」と予告ホームラン。そんな頼り甲斐のある父が発した言葉の中でとても印象的だったエピソードをTAO塾の生徒に出す「一日一信」というハガキ通信で紹介したことがあった。
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《一日一信》な〜に大丈夫!へのかっぱ!

子どもの頃よく、父の野球の試合に応援について行きました。決勝戦を前に、チームメンバーの多くの人達が口々に『お腹が痛くなったらいけないので、昼ごはんは少なめにしておこう!』と話していました。しかし、それを聞いた父はもう既に自分は満腹なのに『じゃあ、それ全部俺が食べよう!』と人の分までわざとガブガブと食べた始めたのでした!

「神経質になるな!決勝戦つったってビビるこたぁない!なぁ〜に大丈夫!へのかっぱ!」

腹八分目は養生の基本、しかし時には些事にこだわらず、状況に呑まれない気概こそが肝心。

『な~に大丈夫!へのかっぱ!』と振舞うことで度胸が据わり、状況に呑まれるのでなく、逆に事態を呑みこんで、満々たる潜在能力が発揮されることを学びました。

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