TAO的パラドックス思考

われらはここにあって死ぬはずのものである

12月4日は、私の人生の恩師•堀田俊夫先生の命日。遠き九州阿蘇の地より、信州諏訪の地へ向けて合掌。

その後、不思議な流れで、若くして亡くなった2人の教え子の所縁の地を訪ねることに。

1人は母校小国中学校の教育実習をした時にクラス担当した生徒。地元の役場職員として活躍していたが若くして旅立った。スリランカで買ってきた線香を持って行き仏壇に手を合わせ、お母様としばらく思い出話をシェアしあう。

その後、今年仕事中の事故で急逝したTAO塾の卒業生の義母さんが営む食堂へ。美味しい食事を頂きながら、ここでもしばらく思い出話を。

若い人の死はとても悲しい。人の喜びに生きた素晴らしい彼らが、なぜこんなに若く亡くならなくてはいけないのか。もっと生きていればきっと多くの素晴らしいことをやっていただろうにと天の無情を嘆いた。

しかし、彼らの命の火が消えた後も、こうして残された者達の心の中に彼らの面影がずっと残っているのなら、いのちのリレーは続いているのかもしれない。

山本周五郎の「人間の真価は、彼が死んだ時、何を為したかではなく、何を為そうとしたかである」の言葉に救われた。彼らに学んで自分がどうしていくかだけだ。

師匠の最期の仕事は、立正大学の桐谷征一先生との原始仏教•ダンマパダの共同研究であった。「われらはここにあって死ぬはずのものである」ということを、私ももっと深く掘り下げ強く覚悟していかねば!

#ダンマパダ #堀田俊夫 #スリランカ #桐谷征一