TAO retreat & cafeへ向かう道、満願寺温泉の川湯に浸かる前に、南小国町の桜の名所でしばし、桜並木を眺める、
先月、難読地名で有名な「宍粟(しそう)市」で出会った方がTAO来塾。先の大戦末期、旧陸軍の特攻基地が置かれた知覧を訪ねてきた話をしてくれたことを思い出す。
私も、今から15年前、先日結婚した長男が10歳だった時に一緒に訪ね、無条件の靖国讃美でない私も特攻隊員の手記に「散る桜 残る桜も 散る桜」という句を散見し胸がじーんときた。
散っていく桜があれば、未だ美しく咲き放っている桜もある。しかし、結局どちらもいずれ散る定め•••己の心情を、桜の儚い命と重ね、辞世の句とした特攻隊員も多かったと聞く。
江戸時代末期の禅僧•良寛の作った句とも言われるが定かではない。本当の辞世の言葉は、「あ」の一言だったという話もある。「あ」は阿蘇の「阿」、満願寺の宗派•真言宗で大宇宙を意味する「阿字観(あじかん)」の「阿」、サンスクリット語の「阿吽(あうん)」の「阿」を説いたとする説。いやいや、単なる嘆息だったのかもしれないし、本当は一休さんと同じ「死にとうない」だったのかもしれない。
いずれにせよ、人生は文字通り、あっという間に過ぎてゆく。
「散る桜 残る桜も 散る桜」の句に、鎌倉時代僧侶、浄土真宗の宗祖•親鸞の「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」の歌を連想する。
明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のよう。夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできない•••
いまだ寒き阿蘇小国郷でも満開を迎えた桜は、今年もまた私たちの目を楽しませながら、不安と希望が交錯する心情を露わにし、哀しみを抱きしめて、人生の儚さ、尊さを、ものも言わず、論理も使わずに諭してくれる。
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