※2005年8月15日執筆
マレーニには、オーストラリア・クイーンズランド州の州都ブリスベンからバスで約1時間半でいける。観光地として有名なサンシャインコーストには車で30分~1時間で行ける山間の町だ。ちなみに、マレーニの隣町のモントビルは「世界の最後の楽園」としてニューズウィークでも取り上げられたとても美しい町である。
素晴らしいのは、美しい自然環境ばかりではない。マレーニでは、コープ(協同組合)が発達し、ここのコミュニティバンクや地域通貨、エコビレッジといった「互助的なコミュニティ」の活発な動きが今、世界的に脚光を浴びているのだ。
いまや、世界中のエコロジストの憧れの街となっているマレーニだが、かつては、農林業が行き詰まり「死んだ街」といわれていた。時代は、60年代後半。若者文化、労働者の文化、あるいは環境保全派や同性愛者といった対抗文化(カウンターカルチャー)に触れたヒッピーたちが、オールタナティブなライフスタイルを求めてこの山間の町にも移り住んできた。オーストラリアのヒッピーの町といえば、ニンビンが知られる。マレーニとニンビン、お互い自由で創造的なイメージを共有しつつも、ニンビンの怪しいイメージとは違い、マレーニはどこかインテリジェンスを感じる雰囲気を持っている。
さて、25年前、マレー二の街の再建を中心となって導き、現在も「マレー二の母」と呼ばれている女性がジル・ジョーダン氏だ。
先述の知的な町のイメージも、リーダーの彼女が心理学者だったことに起因するのかもしれない。しかし、彼女は象牙の塔に住む青白きインテリではなかった。町が生き返るこの物語は、彼女が1978年に、仲間と共同出資し、自然食品を扱うコープを設立したことに始まる。ジル氏は、この時のエピソードを日本での講演(注1)の中でこう語っている。
「地元農家の作物のほとんどは、無農薬栽培ではありませんでしたが、私たちはそれらを店で売ることを拒否しませんでした。ですが、買い物客に、はっきり分かるように無農薬栽培かそうでないかを表示しました。地元農家の人たちは、無農薬作物の方が早く売れることに気づき、少しずつ栽培方法を変え、多くの人々が無農薬栽培に切り替えました。この事実は、我々にとって素晴らしい経験となりました。傲慢な態度で、いくら倫理的には正しいといえども、頭ごなしに否定、攻撃するよりも、このようなプロセスの方がずっと簡単で親切に人々を教育し導いていけるということを学んだのです。」
ジル氏は、この自然食品店を皮切りに、住民の積極的な参加を促し、数々のコープ設立にかかわっていった。彼女は、1984年、コミュニティバンク(地域銀行)の設立に着手した。貧しい人でも素晴らしいアイデアさえあれば、地元の顔の見えるもの同士として、お金が借りられる地域に密着した独自の信託制度「クレジットユニオン」という金融機関を立ち上げた。この試みは、見事に地域の経済を活性化させる役割を果たした。現在、クレジットユニオンは、1500万ドルを超える資金を持ち、6000人近くのメンバーを抱え、街に230種の新ビジネスを生むに至っている。
さらに、1987年には、地域通貨(LETS)を導入した。LETSは、本来「Local Exchange Trading System」(地域内交易交換システム)の略であるが、ここでは「Local Energy Transfer System」の略とされる。つまり、職業的なものに加えて精神的、社会的な交換も含む「地域内の人々のエネルギーを交換するシステム」というわけだ。ここマレーニの町では、顔の見えるコミュニティのなかで、温かい通貨が地域内を循環している。LETSは、低所得の人々に、物やサービスを売買する機会を与えるばかりでなく、高齢者や若い人達が地域に貢献できる機会を作り、自分達はコミュニティの中で役に立っている存在であるということを感じさせることを演出した。オーストラリアではその後、政府が92年にLETS推進に乗り出し、企業の参加も促したため急速に広がり、今では300以上のLETSが誕生している。
その後、マレーニには、様々なコープが立ち上がった。地域経済・企業発展の支援を活動目的とするコープ、住民の交流の場を提供するカフェのコープ、女性啓発のためのコープ、芸術家たちのコープ、コミュニティFMラジオのコープ、森林再生のプロジェクトを進めるコープなどなど、町で必要とされているサービスはほとんどコープで揃ってしまうほどだ。
そして、いまやコープ関係で5000人の雇用が生まれ、コミュニティビジネスが地域社会の毛細血管のような役を果たしている。日本ではコープというと生協を思い起こす人も多いだろう。もともとの組織形態や運営方針は同じだけれど、共同組合とは名ばかりで、普通の企業と変わらぬ利益追求型の組織へ移行してしまったケースも多い。ジルは、トリプル・ボトム・ラインと呼ばれている「経済」「社会」「環境」の三位一体の大切さを強調している。コープとともに、発展してきたマレーニの街においては、経済的な面ばかりでなく、ともに協力しあい働くという人間関係の技術を共有したり、自立意識が向上したり、年齢を超えたつながりと助け合いが芽生えたりといった社会的な恩恵や、地球への負担を少しでも軽くしようとする循環型社会が形成され、ゴミ処理、無農薬栽培、省エネ、代替エネルギー、エコ商品など、環境を第一に考慮した暮らしが広がった。
循環型社会といえば、「農業を基本にした持続可能な人間のライフデザイン」と定義されるパーマカルチャーを実践しているエコビレッジがある。マレーニの中心街からら西へ約三十キロ行ったところにあるクリスタルウォーターズがそれである。年間1000人以上の見学者が世界中から訪れるという、パーマカルチャーライフの壮大な実験場で国連からもベストプラクティスのひとつとして賞賛されている。現在83世帯の人々の住居があり、ビレッジ内には、環境を考慮したデザインにより建造された教育センターと、世界中にネットワークのあるグローバル・エコビレッジ・ネットワークのオセアニア事務局がある。
マレーニのコープ活動に関わった日本人女性がいる。自らも、パーマカルチャーを実践し、マクロビオティックのお料理教室も開らいてるデジャーデン由香理氏だ。彼女は、こう語る。
「私も各種のコープのメンバーですが、ついつい人任せにしてしまうことが多い中、なぜか率先してコープや街の繁栄にいつしか協力している自分に気付きました。ここのコミュニティーにいるとそうしたくなってくるんですよね、不思議と。それは、街全体が過去25年間の歩みを通して、誰をもを受け入れる多様性を持ち、温かく支援し合える仕組みがちゃんと出来上がっているからだと思います。新しくやってきた人達が、居心地よく馴染み、また彼らの特技や技術が今度は役に立てるような、そんな受け皿を常に街が用意してくれているんです。」
マレーニ再生のリーダー、ジルジョーダン氏とも深く交流している彼女は、ジルにこれまでの歩みの苦労話と成功の秘訣を聞いたという。
「25年前は保守的な地元の人々からこのような新しい動きは警戒され、いろいろと困難ももちろんあったそうです。でも、共に協力して一歩一歩進んでゆくのがコープの特徴。コープという組織を持続可能としたのも、違った考えの街の人たちが皆で理解を深め合うことにエネルギーを注ぎ、誰にも共通して必要とされている街のサービスから取り組んでいったことが、それも無理せず小さく小さくゆっくり進めてきたのが、その成功の鍵となったようです。」
60年代のヒッピー世代が作った多くのコミューンはその後崩壊していった。現代文明の大量生産・大量消費の競争社会に替わる、資本主義でも、社会主義でもない第三の道は不可能なのであろうか。マレーニの街はその可能性を我々に示してくれているように思う。再生可能エネルギー、地域通貨、インターネットなどの活用などにより、古典的なコミューンのイメージを超えて、21世紀型社会のモデルを感じさせてくれるマレーニ。そこを訪ねるとき、貴方は懐かしい未来を感じるだろう。
(注1)
2002年10月26日に沖縄国際大学の公開講座として開催されたジル・ジョーダン氏の講演。テーマは「個人のライフスタイルとコミュニティの自立」。先ごろ、同名タイトルのブックレットが出版された。
(注2)
持続可能な農的暮らしを基盤とした循環型社会を作り出すデザイン体系。パーマネント(永久の)とアグリカルチャー(農業)、またはカルチャー(文化)を合わせた造語。
(2005.8.15)
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