アトピー

戦国武将を支えた黒飯

今日もまた早朝より手焼きの玄米ポンセン作り。
精神集中、一枚一枚”氣”を入れて焼いていく。
時には、人馬一体の妙味さえ感じる”快”なる世界!
名付けて、朝のお勤め「ポン禅」(笑)
材料は、油も一切なしの無農薬米と天日自然塩のみ。

古くは臼で搗いた米を「舂米(しょうまい)」と呼んだ。「春」ではない。戦国時代を生きた武将たちは、白米よりも玄米の方が体力維持に役立つことを経験を通して知っていた。

本能寺の変で主君・信長の横死を知った秀吉ら一行が、速やかに毛利氏との講和を取りまとめ、重い鎧兜を身につけたまま中国地方から遠路帰還した体力は驚異的である。

秀吉に長年仕えた加藤清正には、朝鮮出兵ほか数多き武勇伝が残っているが、慶長年間に家中に示した触書7ヶ条には、「食は黒飯たるべし」と命じている。この頃から上流階級では白米を食べる武士も現れはじめたのであろう。

平均寿命が50歳位だったといわれる戦国時代、75歳まで生きた家康は極めて長寿。麦飯と味噌を常食していたとされる。大豆と米の組み合わせは三大栄養素や必須アミノ酸のバランスを生み、味噌は玄米の消化を助ける。信長・秀吉・家康・清正…尾張・三河出身の彼らのソウルフードは味噌だったのだ。

家康・秀忠・家光の3代に側近として仕え、家康に江戸に幕府を開くことを進言し、陰陽五行を駆使した都市計画をしたとされる天台宗の僧侶・天海は108歳まで生きたという。

長寿の秘訣を、秀忠には「長寿は粗食、正直、日湯(毎日風呂に入ること)、陀羅尼(お経)、時折、ご下風(屁)遊ばさるべし」、家光には「気は長く、務めはかたく、色薄く、食細くして、心広かれ」という言葉にして遺している。

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