「十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず。」
有名な「論語」の一節。
しかし、私の人生は孔子大先生の理想とは大違い。
十五にしてスポーツに没頭し、「三十にして立つ」が漢字違いの「三十にして発つ」になって、アメリカへ発った。
四十になっても「惑わず」どころか「戸惑う」こと多く、「十五にして学を志す」の数字が反転し、「五十にして学を志す」ことになり、おじさん大学院生になって修士論文に取り組むことに・・・。
しかしながら、「五十にして天命を知る」というのは本当だった。
さて、私の天命は・・・・・・・それはなんと・・・・・・「はなし家」だった(笑)
生まれるのがひと昔前であったら紙芝居屋さんだったのかも知れない。
時代は変わり、紙芝居は電子紙芝居パワーポイントと化し、水飴の替わりに玄米ポンせんを配ったりして・・・。
2年ほど前には日本講談協会会長の神田紅先生との出会いで、講談の勉強をすることになり、七五調のリズムに魅了され、大学や塾の授業でも、紙芝居の拍子木ならぬ、講談の張扇をペンペンと叩きながら口上をかましてしまうありさま。
それまでも漫談調のスタイルだったが、最近は講談調のスタイルに少しずつ変貌しつつある今日この頃。
しかし、「学び」というものを「T楽しく A明るく O面白く」取り組んでいく「エデュテイメント」こそが、自分の天職だと心底思うようになったのだった。時には科学、時には哲学の真理探究の入口になれたら本望なり。
「エデュケーション(教育)」+「エンターテイメント(娯楽)」=「エデュテイメント」
昨今は、小中学生だけでなく、高校・大学の青少年から大人まで、授業や講座と言う形で教育に携わっているが、電子紙芝居の準備に何十時間もかけて、参加者の驚く姿、笑う姿、しんみりする姿、喜ぶ姿を目に浮かべながらネタを仕込んでいく。講談師のトボけた表情も軽妙な語り口も「鴨の水かき」水面下の見えない稽古の賜物なのだ。しかしながら、その準備も本番も楽しくって仕方がないからしゃ〜ない性分。
過日、私の2歳年下の妹と天命・天職の話について話したことがあった。妹のそれは「里親」だと言う。妹は、様々な事情を持つ子供達との同居生活を長年している。自分の子供でもないのに、ウンチの世話から何から何まで、昼夜分たず世話に追われ、学校や児相や警察に呼び出されるのもしばしば・・・しかし、幸せでしょうがないと言う。有難い気持ちでいっぱいと言う。妹ながら本当に凄いと思う。
「天職・天命」のポイントは一日中やっていても、ワクワクドキドキで楽しくやれて、疲れない事。世のため、人のためなんて言わなくても自己満足度が高く、自己肯定感、現状肯定感に包まれていること。「仕事」でなく、「道楽」と言切れることだ!人を喜ばすためには自分の全てを投げうっていいと心から思え、ピエロでも尻拭いでも何でも嬉々として演じられるということだ!
さて、私の天命・天職の「はなし家」であるが、「噺家」や「話す」だけでなく「離す」や「放す」方のお手伝いももう一つの本業。
徳川家康も渋沢栄一も愛した立身出世の「論語」の世界と対をなす、無為自然・悠々自適の「老子」の世界。
中国二大思想の「儒」と「道」もまた陰陽の関係と言えよう。
礼節・仁義など道徳・倫理・常識・世間体と言った社会通念の足し算の硬直性に気づき、
手放すことで、そのまま・ありのまま・あるがまま の世界に戻っていく引き算の世界。
ドリアン助川の「バカボンのパパ」流に言えば、「勉強すれば勉強が増えるのだ!バカに見えれば本望なのだ!」
「なせばなる」から「なるようになる」への転換。
手放せば手に入り、探し物をやめた時、見つかることもよくある話で・・♫
私も、ついに来年は60の還暦。どうやら、孔子大先生の「六十にして耳順う」は陸サーファーへの誘いなのかも!
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