この世の構造

紫陽花の花に学生時代の共同体論を思い出す

梅雨の時期、母がいつも玄関に飾る花が紫陽花に変わる。

紫陽花を見るたびに、学生時代に親友の遠藤徹君が作った「あじさいの花のように」という歌を思い出し、口ずさむ。

当時、彼は東大の学生だったが、その後、同志社で教鞭を執る学者の道に進む。20数年前、TAO塾に遊びにきた直後、その文才で第10回日本ホラー小説大賞を受賞し、喜びを分かち合った。

大学は違ったものの、インターカレッジの研究•交流サークル「創造の広場」で活動を共にした彼も私も社会学者の見田宗介の本に触発されて、カスタネダや宮沢賢治の作品に興味を持った。

見田先生がペンネーム•真木悠介の名で書いた「気流の鳴る音」は今も梅雨の時期になると読み返している。

その本の中に、大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)と山岸会という2つの共同体が比較されているところがある。

大倭紫陽花邑は「おにぎり型」、山岸会は「もち型」というコミューンについての比較論考。

「紫陽花」の花のような一つ一つの花弁は独立しているものの、全体でも一つになっている構造は、米粒のままに、連帯する「おにぎり型」に対し、山岸会は徹底してエゴを無くし、元の米粒がわからないくらいの一体性を表現する「モチ型」。

「おにぎり」か「モチ」か、これも当時、随分と仲間達と議論したものだなぁと昔を振り返る。

結論、武者小路実篤がいう「一個の人間」を噛み締め、独立自由人の緩やかなネットワークこそが、硬直する組織の論理を越えるしなやかな〈快なる道〉と思い至る。

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「あじさいの花のように」
(遠藤徹作詞作曲、鎌田陽司&波多野毅編曲)

ちっぽけな広場だけど ここが僕らのユートピア
おかしな仲間が群れ集い 新しい時代の夢を語り合う
あじさいの花のように 君は君のままで 僕は僕だけど
それでも僕らは 一つの花なんだ

全てはここから始まるはずさ ここが僕らのユートピア
みんなが自分の道をゆき いつの日かそれが一つに繋がって
あじさいの花のように 君は君のままで 僕は僕だけど
それでも僕らは 一つの花なんだ

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