TAO的パラドックス思考

飽食は亡国の始まり

「全ての道はローマに通ず」と言われたほどの繁栄を誇った古代ローマ帝国。富裕階級の贅沢な生活ぶりは歴史上稀に見るもので、彼らは昼夜を通して遠国より取り寄せた山海珍味の美食を貪り、満腹になれば「ヴォミトリウム」と呼ばれる部屋で鳥の羽を使って嘔吐しながら食べ続けたという。

悲しいかな、高度経済成長に伴い食生活が豊かになり「飽食の時代」と呼ばれるまでに発展した現代日本も、かの国の滅亡前の末期的状況になぞらえて語られることも多い。

違うのは、ローマで贅沢をしたのが王侯貴族だったのに対し、今の日本は一億総グルメ化した我々大衆ということだ。世界中から食品を輸入し、箸も付けられない料理が日々大量にゴミとして捨てられる。

農水省の試算によれば、本来食べられるのに廃棄されている「食品ロス」は年500~800万トンに及び、世界全体の食料援助量の約2倍に値する。

飽食過食は国民を生活習慣病に導き、自国の農業を衰退させるばかりでなく、他の国の環境をも破壊して行く。例えば、タイでは日本人が食べるエビの養殖場を作るために、生物の宝庫であるマングローブ林が伐採され、消失していった。

古代ローマでは、権力者がパン(飲食)とサーカス( 娯楽)を与えることで、大衆を政治的無関心にしたというが、かつて、時の総理が「無党派層は選挙に行かずに、家で寝ていて欲しい」と発言したのもこれまた同じ轍を踏んでいるのではないか。

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