人生には時々、奇跡のようなことが起こる。
1987年、愛する祖母が旅立った同じ年に奇遇にも日本ホリスティック医学協会が発足。協会が主催する講演会で、私はアリゾナ大学のアンドルーワイル博士の感動の講演を曇の上の人のように感じながら聞いていた。しかし、そのちょうど20年後の2007年になんとワイル博士がTAO塾にやってきたのだ。それこそ天にも昇る気持ちで、南小国町の縄文の聖地・押戸石山でランチ弁当を会食、そしてTAO農場で記念植樹をしてもらった。20年の時をかけて天から頂いた奇跡のプレゼントだった。
昨日も、約20年前のTAO塾通信2002年秋号を読み返しながら、不思議なことに気づいた。私は、その巻頭言に子供の頃、嫌だった故郷の名前「小国」が、スモールイズビューティフルと誇らしく感じるようになり、ふと気がつけば「老子」第80章のタイトル「小国寡民」にも見受けられて面白いと書いてあった。注目すべきは、そのちょうど10年後の2012年に、なんと天下の大企業トヨタの雑誌の裏表紙に私が書いた「小国寡民」と題した詩が掲載されていたのだった。
ちょうど10年後、ちょうど20年後、、、十進法の単なる区切りではあるが、かの「論語」にもあるように意味深いメッセージにも感じる。
以下、2002年のTAO塾通信巻頭言と2012年にトヨタの雑誌GAZOOの裏表紙に掲載された詩
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「我が町、我が故郷、『小国』…よき名前なり!」
私は、子供の頃、自分の住む町の『小国』という名が嫌いだった。小さな国…なんか狭くて、せこい感じ。他人の目ばかり気にしている、こんな田舎は早く飛び出したいと思っていた。でも東京に10年住んでみて、そもそも日本自体が島国根性に陥った小さな国だと感じるようになった。だから留学先を大国・アメリカにしたのかもしれない。自由という名の青い鳥を求めて遠くに遠くに自分の生きる方向を求めた。
私は、足元の阿蘇の素晴らしさに気づくのに30年もかかってしまった。都会の連中が「阿蘇はいいなぁ、美しい空気と水、豊かな緑に囲まれて」なんて言っても、それがあたりまえのところに生まれ住んでいると、その有難味がないのだ。ヨーロッパ放浪中、ある時、阿蘇の悠久の歴史的縦軸、これからアジアの時代になっていくであろう地理的横軸においても九州・阿蘇の面白さを直感的に感じることがあった。こうして、幸いにも、31歳にして故郷小国を地球の一点として、自分らしく生きる創造的活動の拠点に選ぶことができたのだ。(ちょっとカッコつけたかな?!ペコッ)
今、私は自分が生まれ住む町『小国』の名を誇らしく思う。小さな国…なんか理想的な独立したコミュニティを連想できるではないか。急速にグローバル化していく現代社会、独立したコミュニティを連想できるではないか。急速にグローバル化していく現代社会、日々、より強い者がより弱いものを徹底的に駆逐していっている。世界的な環境破壊と、巨大な金融システムの影響は例えそれが阿蘇の田舎であってもヒマラヤの奥地であっても避けられない時代だ。人と人のつながり、心と心の絆は経済至上主義の大波に断ち切られてしまっている。
そんな中で、我が小国町の宮崎町長は、経済学者シューマッハーの「スモール イズ ビューティフル」の言葉を行政のコンセプトに入れた。九州ツーリズム大学の推める地元の農産物を地元で消費しようという「地産地消」の運動もその一つだ。これからは、smallなもの、simpleなものが面白い時代になる。誰がどこで細工を入れたか分からない、環境と健康に大きな負荷を与える巨大サイクルでなく、なるべく目に見える、顔の見える範囲での小さな地域循環型こそ持続可能な社会への鍵なのだろう。
先日、熊本市の環境市民会議に参加された韓国の前農林大臣・金成勲氏(現在カナダ・ブリティッシュコロンビア大学客員教授)にインタビューする機会を得た。ビッグな相手に私も緊張したが、金先生の謙虚で紳士的な態度に感動し、実践に裏付けられた言葉の力に大きなエネルギーを頂いた。金元大臣は韓国で「身土不二・農都不二」をキャチフレーズに有機農業を国家レベルで推進し、また都会と農村をつなぐべくグリーンコンシューマーを育てるキャンペーンを全国に展開した。
今回のシンポジウムの座長を務め「文学部の農学者」として知られる熊本大学教授の徳野卓雄先生も「十円高くても地元で買わなきゃいかんと考える賢い主婦になって下さい」と語る。農家の頑張り以上に、賢い消費者が増えねばならないのだ。
さてさて、『小国』。「老子」の第80章のタイトルが「小国寡民」であるのが実に面白い!(2002年TAO塾通信秋号)
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「自然と人為が調和した 小国寡民」
子供の頃、私は「小国」という名前が嫌いだった!
小国町に生まれ育った私は、その名前「小さい国」をしょぼく感じたのだ。
時代は高度経済成長期。CMには「大きいことはいいことだ」が流れていた。
しかし、世界を旅する中、東洋哲学の英知の深さを身にしみた。
老子は自然と人為の調和した理想郷のモデルを「小国寡民」と呼ぶ。
「国は小さく、民は寡( 少 )なくあるべし。」と。
地域内循環、自然に負荷をかけない「足るを知る」生活こそ理想郷の原点と見抜いていたのだ。
老子の言う「小国寡民」は理想社会の描写ではなく未来社会の予言なのかもしれない。(2012年トヨタGAZOO)
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20年の時をかけて届けられていたプレゼントの謎解きができた気がした。
天は、時として偶然を装い、シナリオの存在をほのめかすイタズラをするようである。
短いスパンでは、一見別々の事象に見えることも、長いスパンで俯瞰してみると、見えない糸で紡がれたストーリーとして感じられてくる。
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