4年前の今頃、マクロビオティックの創始者・桜沢如一の直弟子になる田中愛子先生が逝去された。卒寿を超えた大往生ではあったが、先生の生前の優しい笑顔と声を思い浮かべると目頭が熱くなった。
1995年に熊本市で開催された先生の料理教室に参加したのがご縁で、長らく懇意にして頂いた。その2年前のアメリカ独立記念日に、ニューヨークで活躍された同じ桜沢門下のシズコ•ヤマモト氏に「ジョン•ケージ」についてのインタビューで一週間お世話になったのだが、TAO塾でお二人の講座を企画したことがあった。
宿泊頂いた黒川温泉の山河旅館で、「波多野さんは、いいところで生まれ育ったのですね。いつか私も自然豊かな阿蘇に移り住みたいわ」と蘇陽の弊立神社にも幾度となく来られていた。
愛子先生は、お母様の病気がきっかけで桜沢と出会い、その後、ベルギー、フランス、中国、インドと世界20カ国以上を回り、「食養料理」で王室関係や著名人をはじめ沢山の人達を健康に導かれた。
2014年、愛子先生の愛弟子の原田ちほさんのコーディネートにより、愛子先生に新宿の京王プラザホテルで3時間以上に及ぶインタビューをさせてもらった。
愛子先生から、いきなり「日本酒を飲みましょう」と誘われ、昼間から3人で美味しい酒を飲みかわしながら、桜沢如一、植芝盛平、沖正弘といった男たちが繰り広げた「表」の歴史の「裏」にある、歴史に残らない女たちの秘話や珠玉の名言を沢山聞かせて頂いた。
「物」を中心とした西洋文明に対し「心」を中心とする東洋文明を対比させ、日本文化の背景にある東洋の思想哲学を外国語で紹介した内村鑑三、新渡戸稲造、岡倉天心、鈴木大拙。彼らと同じ系譜に加えられてしかるべき無名有力の志士・桜沢如一について書いた拙著「東洋医学の哲学 桜沢如一のコトバに学ぶ」に推薦文を寄せて頂いたことに心から感謝。
マクロビオティック界隈には、時に過剰な選民意識で自分も他人も抑圧する「オニババ」化した”ミクロ”ビオティックに陥った不憫な人達を垣間みることがある。
似て非なり。愛子先生は、信念を持ちつつも、最後まで品の良さと気っ風の良さを兼ねそえた遊び心あるチャーミングなお人だった。
愛子先生が亡くなる一週間前には、水俣病患者の苦しみや祈りを共感をこめて描いた小説「苦海浄土」で知られる作家の石牟礼道子さんが逝去された。いのちの紡ぎ人が続け様に旅立つ悲しみを感じた。
(写真は、リマクッキング卒業制作発表会にて田中愛子先生、日本CI協会の高桑智雄氏と)