15年ぶりに九重町の「龍門の滝」に行く。
息子達が小学校の頃、スリル満点のウォータースライダーがあると聞き、地元小国町の三世代同居仲間「フィリアの会」総勢20名で遊びに行って以来。子供達がはしゃいでいた懐かしい光景が蘇る。
しかし、今回の目的は、その滝のすぐ近くにある神社の方。
友人の実家であるこの神社が、うちの遠い親戚筋だとわかり、初参拝を案内してもらうことに!
九重町を代表する歴史ある神社•宝八幡宮。
TAO菊芋農場、TAO retreat & cafe、そして今年母のために買った家のあるところに続き、またまた我が姓「ハタ氏」ゆかりの地への導きに不思議なフローを感じる。
友人のお兄さんになる甲斐素純宮司に、正式参拝の儀をして頂いた後、神社の話から北里柴三郎の話までしばし歓談。
秀れた郷土史家の一面を持つ宮司が書かれた論説「北里柴三郎の母の実家加藤家と恩師•園田保」という冊子を頂き熟読。
柴三郎の様々な伝記に、南小国の橋本龍雲に学んだ記述はあっても、その後、熊本医学校に行く前に、豊後森にあった園田保の「学半舎」に学んだ詳しい記述はない中、宮司の書かれた論説は非常に貴重。
故郷を愛した偉人である北里柴三郎だが、故郷に対する嫌悪感をもバネに学問に励んでいた様子が分かる手紙も興味深い。
柴三郎が弟、妹に書いた手紙の中に、
「故人の歌に『末は海に入る山の岩水は途中しばしば木の葉をくぐるのだ』という一首があります。この意味をよくよく味わって下さい」
とある。柴三郎の一生を貫く反骨精神の根っこを探る糸口が見えた気がした。
※もし、この文章の元になっている俳句?川柳?短歌?狂句?をご存知の方いたら教えてください。
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