TAO的パラドックス思考

死を意識すること

田舎に住んでいると、法事、仏事が多い。
数年に一度は親戚の法事があり、葬式も初盆参りも毎年30近くある。

若い頃は、実に面倒で退屈な風習だと感じることが多かった。確かに今でも島田裕巳さんと同じ「葬式は要らない」そんな考えを持つ私でもある。

しかし、そんな葬式や法事を最近は学生時代、上智大学に何度か聴講に行ったアルフォンス•デーケン先生がいう貴重な「デス•エデュケーション(死生学)」の時間だと感じるようにもなっている。

昨日も、TAO塾卒業生のお祖母様のお葬式だったが、彼と中学卒業以来四半世紀振りの再会の機会となった。今は千葉で医療関係の仕事をしているという。立派に成長された姿が見れて嬉しかった。

悲しみの場面で、再会の喜びというのは不謹慎だが、昨日は百歳近くの天寿全うのお葬式。明るく互いの近況をシェアしあうことができてよかった。お祖母様の死が彼との再会を引き合わせてくれたことに感謝。

「死を意識することは生を充実させる」そんな思いで、12年前に設立したTAO retreat センター。

内壁は石棺に使われるアラバスタ粘土を使用し、床下は楢崎皐月の炭素埋設、「一日一生」の書を飾り、「死」を意識するいわば巨大「棺桶」の空間!(えっっ?)

東洋医学の師匠の1人•伊藤真愚先生の漢方思々塾を訪ねた時に、「波多野君、さて寝るか?」の替わりに「波多野君、さて死ぬか?」と呟いていた言葉の真意が還暦を迎えた今ならよくわかる。

祖母の死から約35年。いかに生きるか?を試行錯誤し続けるが、それは、悔いなく死ねる生き方をしているか?その一点を日々自分に問い続ける歩みでもある。

TAO塾の「陰陽五行集中セミナーリトリート」も「体質改善•自己実現セミナーリトリート」も、東洋医学、東洋医哲の知識•技術の習得以上に、畢竟「死生観」それに尽きると言える。

死を意識すると、小さな自我の囚われが外れて、親とのつきあい、子とのつきあい、友とのつきあい、そして何より自分と思い込んでいる自分とのつきあい方が変わってくる。

さて、もうじき夜が明ける。未だ「今」を許せない私。
朝のお勤めのポン禅へ向かおう!(笑)

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