昨日早朝、母と一緒に母の実家を訪ねる。
数年前に亡くなった母の兄になる叔父さんの懐かしい写真を見ながら仏壇に手を合わせる。
その叔父さんの奥さんになる叔母ちゃんの90歳の誕生日!
叔母ちゃんは、昨年末、肺炎で1か月入院し、年越しも病院で過ごしていたが、今は自宅に戻り静養中。
母が誕生日のお祝いに作った赤飯、キンピラゴボウ、南瓜や里芋の煮物を渡すと「有難う!有難う!」と合掌する。娘さんになる私の従兄弟が持ち前の笑顔と社交性で「せっかくだからご飯たべて帰って」と言うので皆で一緒に朝食を食べることに!
思いがけず、朝も早よから、食卓を囲み卒寿を迎えた叔母ちゃんを祝うことに♬
食卓といえば、かつてその叔母と従兄弟そして、母の父と叔父の家族皆が雑誌に大きく掲載されたことがあった。
それは、私が生まれる約半年前。1961年の朝日新聞社発行のアサヒグラフ誌の10月号。お彼岸を終えると、農家それぞれが思い思いの仮小屋を作り一家をあげて泊まり込みで草刈りをする「草泊まり」の記事。
今回、卒寿を迎えた叔母ちゃんが30歳、ワカメちゃんカットにThe昭和を感じる従兄弟が5歳の時のもの。叔父ちゃんが33歳だった時の写真。当時62歳だった母のお父さんも載っている。
叔父ちゃんは、地元で伝承される”楽”の指導をしたり、押戸石と呼ばれる巨石群のお祭りでは神官役をやったりする村の良き長老だったばかりでなく、私のアメリカ留学時代の友人を囲むパーティーでは着物に着替えて踊りを披露したり、村の手作り案山子のコンテストでは手の凝ったユニークな案山子を作って優勝するようなマルチタレントな人だった。
結婚60年のダイヤモンド婚まで迎えた夫唱婦随のオシドリ夫婦だった二人。草葉の陰て叔母ちゃんの卒寿を祝ってくれていることだろう。
「この前、私の母の夢を見てね。まだ、あんたはこっちには来ちゃいかんよと言われたよ。」と話す叔母ちゃん。どうぞ、お母様や叔父ちゃんとの再会はお預けにして、立派に成長された孫のこれからを見守り、天寿を全うしてもらいたい!
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