この世の構造

誰をもが間違いをおかす存在であることの自覚の共有

毎月一回、熊本市•草葉町教会の森島道牧師を招いての聖書勉強会に参加。

今回は、ルカによる福音書19章6節。
ザアカイという名の徴税人が、町の人達に蔑視され、差別されている中、イエスが彼の孤独な悲しみを解きほぐし、彼の家で宿をとるという内容。

当時、徴税人という職業は、ユダヤ人から「罪人」と並べられるほど蔑まれていたという。なぜなら彼らはローマ帝国のために同胞のユダヤ人から税金を取り立てていたからだ。つまり、ローマ人の手先として軽蔑されていたのである。

また、「全国水平社創立宣言」ほか部落差別問題についての雑誌記事などをテキストに職業に対する差別について学習。

私は教育分野から「イジメ」について、加害者である「イジメっ子」が問題とか、被害者である「イジメられっ子」にも問題があるとかされるけれどマザーテレサが「愛の反対は無関心」と喝破したように無関心を装う、見て見ぬふりをしている大多数のクラスメイトのあり方こそ見つめていかねばならぬこと。社会の様々な分野に広がる間接的暴力や構造的暴力について、私見をシェアさせてもらった。

その後、森島牧師と会食しながら、私のマクロビオティックの師匠•久司道夫先生の恩師の1人、キリスト教社会運動家の賀川豊彦氏について2人で議論。

今、世間で話題の新興宗教問題ばかりでなく、かつてガンジー、シュヴァイツァーに並び、現代の「三大聖人」として世界に名を知られた彼をしても差別的表現があった事などを忌憚なく議論。森島牧師も日本のキリスト教界隈の組織の問題についても実に虚心坦懐に謙虚なる実状を話してくれた。

紛争解決平和構築学の学徒として、キリスト教の「赦しの思想」を学びに参加する私にとって、宗教者としてだけでなく、タブーなき社会科学的議論もできる智者と出会えたことに大きな喜びを感じている。

我々人間は、誰をもが間違いをおかす存在同士であることの自覚の共有こそ最も大切な事なのだと思う。

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