○映画の演技者にとっては、思いがけない展開で自分の思いが現実を引き寄せている感覚。
○映画の脚本家にとっては、シナリオ通りの展開でキャストを動かし物語映像を創る感覚。
寺沢武一の漫画『コブラ』(COBRA THE SPACE PIRATE)の冒頭に、退屈な日々の気分転換に、自分の願望を疑似体験できる不思議な映画を見せてくれるT.M.株式会社というものが出てくる。
視覚聴覚だけの映画でなく、臭いも味も痛みも感じる超リアル三次元立体映画館のようなもの!(面倒な感情と肉体があるのが『この世』ゲームのミソ)
シナリオのある映画だが、登場人物になりきった本人は映画であることをすっかり忘れて、まるで現実の中のように抜き差しならない冒険を味わう。(時間と空間の制限があるのが『この世』ゲームの設定)
考えてみれば人生はまるで脚本自分、主演自分の映画のようだ。嬉しいこと、悲しいこと、喜び、怒り、寂しい思い、温かい想い・・・山あり谷あり、様々な出来事が起こりながら場面が進行・・・辛さと喜びのギャップがあればあるほど感動は大きい。
ストーリーは、思わぬ展開で様々な偶然に満ちている。不安・緊張・ハラハラドキドキ。時にはその先の見えない展開にうろたえ、時にはその苦しみに、のたうち回ることも・・・。
しかし、実は、最初から最後まで既にシナリオが出来上がっているのだから、何もあわてなくてもいい。
実は全て虚像なのだから、何も心配しなくていい。(内的宇宙の投射)
全ては偶然を装う必然であり、ハラハラドキドキを身に染みて体験することで飽きが来ないように練りこまれているだけだ。
所詮、作られた映画(ゲーム)に過ぎないなのだから、居眠り(ポーズ)してもかまわないし、途中で映画館を出る権利(リセット)も許されている。多くの場合、無自覚、無意識にやっているけれど。せっかく映画館に入ったのだから最後まで観てみようと味わいつくそうとする(全クリ)。
私は、子供の頃、怖いテレビ映画を見るとき怖くならない方法を発見した。
ホラー映画が流れる画面から少し離れて、テレビそのものをただの箱物だと自覚し、その映画内容も所詮作りものだと呼吸を鎮めて観察してみるのだ。
しかし、大学生になって、映画を深く楽しむ術もまた映画狂の先輩から教わった。映画スクリーンが視界一杯になる席を陣取り、どっぷり感情移入して、あたかも自分が主人公になったような気分で思いっきりその映画に入り込むこと。回りの目なんかかまわず悲しみの涙、怒りの歯軋り、感動のガッツポーズ!
この二つの異なる体験が、『この世』の構造の解き明かしの旅への出発点!
まるで現実であるかのような感情・肉体を伴う超リアル三次元立体ムービーを観るのに少々疲れたときには、思い出せばいい、しょせん、これは創られた映画なのだと。(しかも脚本家も監督も自分)
映画のストーリーは自分が自力で開拓している感触はあるけれど、自分がどうこうあがいても、シナリオ通りに勝手に進むもの。
本当は、この世の現象に良いも悪いもない。善悪、正邪、勝ち負けも特定の時間空間の共同幻想に過ぎない。だから、一見ネガティブに見える現象も、良き事または良き事の前兆現象と捉えることだってできる。
偶然に見える親も子も、親友もライバルも、愛する人も敵対する人も、実は絶妙のキャスティング!なにせ、出演の配役は自分が選んだものなのだから。
求道などと称して修行(真剣味があるので味わいも深いが)などをしてみたり、高邁な教えを金科玉条のごとく信じて生きてみても、実は、正しいこと、間違ったことなんて何もない。
小ざかしい知恵で計算計画して解決しようなどと努力したり、外在する様々な教え(常識、学問、経験知etc)に自分を合わせるよりも「今、ここ」の生身の自分に来るものを面白がってサーフィンしているほうが、成るようになる!
・・・・さぁ、夜も更けた。さて寝るとしよう。私の漢方の師匠が寝るときに、いつも「さて死ぬか」と言っていたことが今ならよく理解できる。昼は夜にしっかり寝ることで充実する。that worldでthis worldのシナリオを「練る」のだ。そして、朝起きた瞬間すっかり夢のことは忘れてしまうシカケつき。変幻自在のマトリックス!
今日の映画もこれでおわり。明日はまたどんな展開が待っているのだろう。想像どおりかな?創造どおりかな?思いがけない展開かな?思い通りの展開かな?さぁ、明日はどんな演出が待っているのだろう。どんな役柄を演じよう?
What tea hand♬
●1月27日(水)
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