TAO的パラドックス思考

「愛しむ」と書いて「かなしむ」と読む

早朝、ブラジル留学中の次男と1時間以上オンライン通話。
医用工学の研究所での先生達、友人達、そしてアパート近くのお店の人たち等との様々なエピソードを聞かせてもらう。

「サッカー」「ラテンダンス」「キリスト教」など、異文化に触れながら、日々刺激的な毎日を過ごしている模様。

次男との会話を終え、月一瀬の本ユースホステルで開催される熊本草葉町教会の森嶋道牧師による聖書の勉強会に参加。

今回は、「ヨハネ福音書8章1-11節」そして、作家の若松英輔さんが書かれたNHKの「100分de名著 新約聖書 福音書」等をテキストに学習。

若松英輔さんは、これまでにこの「100分de名著」 シリーズで石牟礼道子、内村鑑三、神谷美恵子、茨木のり子、西田幾多郎などを執筆されているが、深い洞察ながら、とてもわかりやすい表現で解説してくれている。

森嶋牧師の言葉に響く。
⚫︎願いはモノを引き寄せ、祈りは余計なモノを放す
⚫︎「御心のままに」という言葉は手放し委ねる事
⚫︎自分の失敗の数こそが人の失敗を許す力になる
⚫︎赦しは憎しみから、祈りは願望から自由になる
⚫︎自分が正しいという座布団から降りる事が大事
⚫︎自分の問題を人の問題にしてしまう自分とは?
⚫︎「悔い改める」とは反省ではなく受容と赦し!

「イエスは「悲しむ人は幸いである」と語ります。ここでの「悲しむ」とは単に悲嘆にくれることではありません。それは何かを深く愛したことの発見だといってよいと思います。日本語でも「愛しむ」と書いて「かなしむ」と読むことがあります。誰かを愛するということは、ある意味で悲しみを育むことなのではないでしょうか。」(若松英輔 NHK100分名著)

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