TAO的パラドックス思考

階層的に観る視座と遊び心

昨日早朝、熊本市へ向かう。自然食品店「有機生活」にTAO塾の玄米ぽんせんを届け、その後、熊本県子ども食堂ネットワーク事務局で、料理教室の理論講座。「学」と「道」の違いや、「実用的技術なき理論と合理的理論なき技術」の問題点などについて話す。

夜は、スリランカレストラン「ルワニ」にて友人の医師、歯科医師らと会食しながら様々な角度からの観方の共有。玉石混交の情報に溢れる現代社会で「木を見て森を見ず」にならぬよう、時に「視点」を変え、「視野」を広げると共に、現象を階層的に捉える「視座」の観点が大切に思う。

視点、視野、視座•••似たような言葉だが、似て非なる言葉。

「視点が新しい」「視野が広い」「視座が高い」とは言うが、「視点が広い」「視野が高い」「視座が新しい」とは言わない。

「視点」とは、「視線の注がれるところ」という意味で、「フォーカスするポイント」

「視野」とは、「視覚の広がり」という意味で、ものごとをみる「範囲」

「視座」とは、「ものを認識する立場」という意味で、ものごとを見る「場所(高さ)」

様々なレイヤー(階層)に、独自の論理が存在する。言葉づらだけで一元的に捉えてしまう短絡的な思考は不毛な対立を生み冷静かつ建設的な議論はできない。

哲学的に洞察を深めることも、社会学的に切り取ることも、幾何学的に構造を捉えることも、文学的な物語の創造•共存も自由奔放、自由自在にやれたらどんなに平和的だろう。

皆んなの意見が 「同じ」になることが平和ではない。

思考停止人間を大量に生産する現代教育に毒された私達は、お釈迦さんのような多次元の対機説法に学ばねばならない。

ミクロにもマクロにも自由自在に考察し、鳥の目、虫の目、魚の目、時には逆立仙人のコウモリの目も駆使して、複眼的、多元的に物事を観ていく必要がある。

思考レベルだけでなく、直感的、身体的感性を何より大事にしながら。

時に真剣に、時に笑う「遊び心」を忘れずに♬

愉しい夕べはいつのまにか4時間近くになっていた。

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